心を壊して入院してたことがある。退院したのは30歳の時。浦島多呂子とでも。
私の記憶は大学生活の途中で途切れ、24歳位からの牢獄じみた生活で再開されてる。
空白の期間に何かあって、幻覚の幸せな生活の中に埋没して、戻れなくなったのね。
そこから日常生活に戻るまでに色々とやったけれど、興味がある人いるなら書くわ。
>>241
>そこから日常生活に戻るまでに色々とやったけれど
復讐を色々とやったってこと?
しえん
24歳の時に意識を取り戻した。
目覚めた時私は椅子か何かに座らされていた。
頭や腕などにいろんな機械みたいなものが接続されていて
硝子の向こうの白衣達が私を見ながら驚いた顔をしているのがわかった。
目の前にも医者がいた。周囲を見渡してる間は気にもしなかった顔だ。
唯一話せる距離にいるのがその男だったので、その顔をみた。
すると、とてつもない恐怖がこみ上げてきた。理由は分からない。
私は助けてと叫んで、接続されたコードをひきちぎるようにして(或いはひきちぎって)ドアにかけよった。
意識を取り戻したものの、私は、隔離病棟に置かれた。
錯乱状態のように見えたらしい。ただ、意識を取り戻して以降の記憶ははっきりとしている。
弁護のように思えるかもしれないが、私は、正気だった。
医者が自分を助けてくれたという認識はちゃんとあった。
その彼から逃れようとしたことを後悔もした。
残念なことに、精神を病んでいるという先入観でみてくる医者達には、それは伝わらない。
そして、もう一つはっきりしていることがあった。
それは件の医者-彼をAとしよう-が目の前にいるととてつもない恐怖がこみあげてくることだ。
それが、折角意識を取り戻した自分の立場を悪くすると理解していたから。
私は、極力この恐怖を抑えていた。
半年程経過する間に待遇が、微々たるものだが向上。
私の知るより、白髪の増えた両親とも再会した。
とても複雑な顔をしていたが喜んでくれた。
妙にキテレツなファッションをして、私を笑わそうとする努力も絶やさない優しい父母だ。
私の心は、Aの診察の時以外、穏やかなものになった。
はやく退院して、仕事を決め、両親を安心させたい。
そんなささやかな願いを抱きはじめた。
そんな願望は、院長先生自らの診察の時
当分退院出来ないとはっきりと告げられて砕け散った。
両親以外、誰も面会に来てはくれない生活。
医者と看護師以外、まともに会話できる知性のある人もいない。
テレビを一日中みつめて涎を垂れ流している老婆や
拘束服に身を包ませられながら、こちらを血走った目で見つめてくる男といった
おぼろげに覚えていた平和な日常とは、まったく違った環境。
段々と、病院そのものが、私の精神を疲労困憊させていった。
患者の立場で退院を求めても、医者の立場でそれを拒否される。
バイトをして稼いだお金を両親に少しでもお礼として渡したい。
それがダメなら、せめて、毛糸で編物をして両親にプレゼントしたい。
これらの望みも却下されてしまった。
病院の仕事の手伝いをするから、十円でいいからお願いしますといってもダメだった。
その十円で、駄菓子でも買ってきてもらって、自分の手で渡したいと思うことすら許されない。
両親にその悩みを打ち明けると、両親は大層喜んだ。
「そのうちきっと、あ○○○(しゅばとかしぇばとかそんな音)様がお前を助けてくれるよ」
無情にも時間だけが過ぎていった。
私は病院で25、26のバースデーを迎えてしまった。
両親がケーキをもって祝いにきてくれたのが救いだった。
その間、あ○○○様の名前をなんども聞いた。
発音しにくい名前をやたら正確に発声していたから
呼び間違えてはならない名前なんだと察した。
私のせいで、両親がカルトにでもはまったのかと思うと
夜中に唐突に涙が溢れて、一睡もできない日もあったように思う。
27歳になったある日。チャンスが唐突にやってきた。
外の病院から、偉い先生の一団がきたのだ。
彼らは隔離病棟にやってきて、特に私をとても興味深く観察していた。
声はきこえなかったが、Aはやたらと彼らを急かしていた。
最初に抱いた恐怖からはじまり、わたしはAを信頼していなかった。
この時、Aは私が外に出てはまずいのではないかと思った。
彼の考えとは裏腹に、私は普通に振舞った。
久しぶりに見る、見慣れてない顔。
手を振ったり、ガラス越しに筆談してみると、
一団は硝子の向こうで院長先生と何かを話しはじめた。
結論から言うと、私には外出許可が降りるようになった。
一団と私は面談し、そこで私は精一杯、私が快方に向かっていて
この牢獄のような場所から解放するに足る人間だとアピールした。
アピールといっても、媚びるわけではない。
ただ、普通にするだけ。妙な態度のAに対する怒りを隠しただけ。
仕事もさせてはもらえないけれど、週一で、3時間も自由になった。
仕事っぽいことでもして、せめて気を紛らわそうと
近くの公園にでかけていって、清掃することにした。
かの一団は、この病院の上部組織の医療法人のお偉方だった。
彼らは、幻覚の世界から戻ってきた私に、大変興味を示してくれてた。
私は彼らの求めには素直に応じた。
そして徐々にAへの不信をあらわにしていった。これが、私の策略。
担当医師をAから別のものにさせたかった。
よしんば、転院を勝ち取ろうとも。
28歳のバースデーに、私は転院というプレゼントを勝ち取った。
一団の中でも最も若手だった40代のN様の病院が私の転院先に決まった。
転院の日、Aが私を凝視していたのが、とても気になった。
私はN様のもとで、みるみるうちに回復した。
それはそうだ。目が覚めて以来のストレス源は病院そのもの。
カ.ン.キ.ン.状態のストレスは計り知れない。
N様の病院では、研究対象もあって、
専用冷蔵庫(わお)のついているちょっぴり豪華な軟禁状態から。
半年もしないうちに、大部屋に近い個室にうつらせてもらえた。
大部屋の入院患者や御家族からは、随分と酷い言われようだったけれど。
毎日、窓から、近くの病室の賑やかな声が聞こえる環境は
嫌味の千や万を言われてでも価値のあるものだった。
やがて、元精神異常者に対するバッシングも消えた。
このころから両親の様子が少しづつおかしくなっていった。
元々おかしかったのが、さらにおかしくなって、正常に戻ったというかんじだ。
あ○○様の名前が登場する回数が減り。
(他の入院患者や御家族のバッシングの理由の一つだった)
奇妙な腕輪や首輪などの装飾をみにつけなくなっていた。
そして、段々と表情が暗くなった。
N様はとても優秀なお医者様で、両親にもケアが必要だと考えた。
そして、N様による両親のカウンセリングがはじまった。
一方、私は、病院のボランティアとして毎日4時間働かせてもらえる待遇を勝ちとっていた。
大学生の頃、テラスで、友人たちと語り合った将来設計。
何歳までに結婚してとか、語り合ったっけ。
彼氏もいないのにとつっこまれて、あなたもでしょと小突くのが、幸せなことだったとは。
でも、それを取り戻せる位置にいる。取り戻す資格があると示せる立場にいる。
とても、幸せでした。
充実した毎日だったから、待つのは辛くなかった。
29歳のバースデーも間近に迫った日。N様が顎をぐっと張って切り出した。
「私は医者として、今からとても間違った事をします。
けれど、医者の持つべきモラルに恥じない行いもします。
多分、一生この事について、思い悩むでしょう。
しかし、おそらくこれは、あなたが正常に戻るための、大事なことです。ですからどうか。 」
こんな切り出し方だったろうか。やたら勿体ぶった、抱えた悩みの大きさがわかる切り出しだった。
結構ハンサムなかおが、苦悩に歪み、かとおもうと憐憫を示し、一定しなかったのだけは、はっきりおぼえている。
私は、20歳の頃に、○○学校の生徒にラチされて、輪**された。
救出されたときには私はヘラヘラと笑い続ける状態だったらしい。
病室のそんな私を見て、当時つきあっていた男性は、吐いたそうだ。
それっきり二度とくることもなくなった。
それ以来私は何に対しても反応することがなくなった。
両親は戦い、そして○○学校と、生徒達の保護者から
事態を秘密にするかわりに、示談金として三億円ほどの金を得た。
恐らく自分たちがシんだ後も廃人の私が生きて行けるようにと
その金には手をつけずに、必シに働いて私を病院にいれてくれていたそうだ。
「私は、ご両親を尊敬します」
N様はこう仰った。
しかし、面会に行くたびに魂の抜けた状態の私を見るうちにだんだん辛くなっていたらしい。
そこにあ○○○様を祀る教団の人間が声をかけてきたそうだ。
なるほど、やっぱり、大事なお名前。
「彼は、こう言ったそうです。あなたの娘は試練から逃避してあ○○○様に見捨てられた。
したがって、もう一度試練に挑ませる以外、彼女は追放から帰還できない」
「試練とはレイ*のことですよね」
「…うっ」
「私、A医師がとても怖かったんです」
「…うっぐひっ」(N様は泣き出した)
「Aが、私をおかしたんですね」
「…ふゎい」(号泣しながらN様は頷いた。私は泣き止むのを待った)
「慰謝料は、その教団に、寄付として、奪われてしまったそうです」
「ああ、道理で、両親がたまに申し訳なさそうな顔をしたのよね」
「それと、大変申し上げにくいのですが」
「はい」
私の心は冷め切っていた。
「その、儀式の内容は、出回っているんです」
「つまり、売ってお金に変えていたわけですか」
「…」
「販売元は?」
「いえ、そこまでは」
「外出許可を下さい。でないと私恩人にすらなにするかわかりません」
「自暴自棄な気がしませんか?」
「なってませんよ。やっとつかみとった自由に近い立場です。
でも、奪われたお金は取り戻さないといけないでしょう?」
「それは」
「それとも私を養ってくれますか?愛してくれます?
私先生を愛していけると思いますけど。」
「……すみません」
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