修羅場というか、DQN返し。
小学生の時に親が共働きになり、親代わりに父方のお祖母ちゃんが来てくれてご飯をつくってくれていた。
お祖母ちゃんの手料理は超ウマメシだった。
給食がまずく思えるくらいの美味しさ。
美味しくて美味しくて、ガツガツ食べて、たらふく食べて、満面の笑みでお代わりする私にお祖母ちゃんは気をよくして多目につくってくれていた。
最初の頃は純和風か子供の好きそうなメニューのどっちかだったが、多彩なメニューが出てくるようになって更にモリモリ食べた。
親に中々会えない孫が不憫だったのと、「美味しい美味しい」 と喜ぶ孫が可愛かったんだと思う。
今思い返すと本当に愛されてたなぁと。
お祖母ちゃんに可愛がられた私は一年経たずにムッチムチの愛されボディになりました。
子供って同世代のデブに厳しい。
男子によく小突かれる系デブになってからようやく自分がデブになったと気づいた。
だってお祖母ちゃんは私を「可愛い」 って言ってくれてるから、デブなんて気づかなかったんだ。
女子も大半が素っ気なくなり、特におシャレなモテカワ系女子は私を完全無視、時には小バカにするようになった。
放課後は大好きなお祖母ちゃんと一緒に家事して勉強を教わってたから、友達と遊ばなくてもさみしくなくて気づかなかった。
担任はデブへの冷遇に薄々気づいててそれとなく私に聞いてきてたけど、
担任「何か悩みはないか?」
私「ないです!(超笑顔)」
で終了。
最初はコソコソ聞こえるように陰口を言うだけ(私気づかない)だった男子達に、担任が注意したことで陰口から暴/力に発展したらしい。
流石に幸せの塊肉でも暴/力は無理。
気が弱いわけじゃないので 「やめて」 と返してたんだけど、豚のくせに反抗したってことで暴/力がエスカレートした。
階段からすれ違い様突き落とす仕草をされて、ビックリしてそいつの腕を掴み、バランス崩してそいつごと上から下まで転げ落ちた。
そいつを床に敷いて無事着陸。
分厚い肉ッションとそいつのおかげで私無傷。
そいつは骨折(ヒビ)。
目撃者多数いたおかげで逆にそいつの親に謝罪してもらった。
己の肉イ本を武器にできると気づいてからは、寄ってくる男子達と積極的に絡み合い彼らを意のままにすることに成功。
彼らが私にしてきたように遊び半分で男子達をナグったり、早くお祖母ちゃんに会いたくて彼らに掃除を押し付けたりしていた。
最初は可哀想な被害者だったせいか担任が注意してくることはなかった。
女子達は恐れをなしたのか媚びへつらう態度にかわった。
共働きが終了してお祖母ちゃんがおうちに来なくなり、代わりに私がお祖母ちゃん家に遊びに行くようになった。
自宅からお祖母ちゃん家まで自転車で往復一時間弱。
休日は山菜や茸をとりに山登りしたり、裁縫を教わったりと楽しかった。
超ウマメシがフツメシ(母)にかわったのもあり、自然と痩せていった。
痩せ型になったことで骨折馬鹿からリベンジをくらったが、脚力アップしていた私には屁でもなかった。
そいつは泣いて苦しんでいたが、私だって
靴越しとはいえ男子の股間に接触したくなかったよ。
中学高校はお祖母ちゃん家から通って、彼氏も真っ先にお祖母ちゃんに会わせた。
当時の写真を見るとポニーテールのすもうとりが写ってる。
お祖母ちゃん家のアルバムを見て思い出して書いてみた。
コメント
ポニーテールのすもうとりで、ワロタ。
良いばあちゃんで、良かった良かった。