元父は苦手なことも頑張って克服すべきという考えの人で、
初めは苦手な食べ物を食べられるようになろうといった程度でした。
それがだんだんエスカレートしていき、私達子供にはホラー映画や暗闇、
馬の合わないクラスメイトと友達になれと口うるさく言うようになりました。
母には、夫婦水入らずで〇〇県の△△公園に行こうとしつこく誘うように。
△△公園は、母が幼少期に凄まじい虐.待.を受けて真冬に捨てられた場所。
要するに母のトラウマ。誘い方もサ.ツ.意がわくレベルで、
お前の人生のターニングポイントである△△公園へ行こう!
捨てられたという嫌な思い出を良い思い出に塗り替えよう!
とニコニコしながら誘う。
普通に小学生の息子や娘がいる前で誘うから、
小学生の時点で母の虐.待.を知ってしまった。
母は愛想をつかせて私と兄を連れて母実家(母の里子宅)に逃げて
そのまま離婚した。離婚の際にどの程度揉めたのかは知りません。
ただ覚えているのは、父が土下座しにきたこと。
良かれと思って~お前の為に~から一転して、
トラウマにあぐらかいていつまでも逃げるなと華麗に本性を現したのには怯えた。
母は五年前になくなり、私と兄に対する想いと
父に対する罵詈雑言が綴られたノートを発見した。
私と兄はまったく知らなかったが、母は離婚後、父に付きまとわれ、
無関係の男性がぶんナ.グ.られたらしい。(恋人と思われた?)
無関係の男性は雑誌モデルだったらしく、
何故か母に治療費と損害賠償を請求していました。
母は保育士をしていましたが、
園児のママ達の噂話というのは恐ろしく、別の園に移動していました。
治療費と損害賠償は結局父が払ったみたいですが、
なんとも気持ち悪く最低な父親だと感じました。父だと思いたくない。
父は現在なにをしているかさっぱりわかりません。
よくここでも見るけどさ、身内が嫌がることをして喜ぶタイプだね。
何が嬉しいんだかさっぱりわからんが、
うわべは小綺麗な理屈つけてやってることはいじめレベルっての。
あなたももちろんだけど誰よりお母さんが災難だったね。
逃げてくれて本当によかったね。
嫌がる顔見て喜ぶって最近話題のあの精神病理かな?
どこかでクズ父に偶然鉢合わせしませんように。
いやどこかで野垂れタヒにしといてほしいわ。
表面上は「お前のため」って言って痛め付けられる所もポイント高いんだろう。
あるいは俺様のおかげでトラウマ克服できたと威張りたい善意の押しつけやろうか。
>>338
その両方だよクラリス。
アレルギー持ちの人に、アレルゲンの物を食べさせて、
ショック療法で治そうとかアレルギーは甘え教の人みたいだ。
自分の正義感や信念を貫く為に、相手の気持ちとか一切気にしない。
トラウマもアレルギーも努力だけでは、どうにもならない。
父親はトラウマとか怖いものに無縁な人間だから
全く共感や想像できなくて…理解する気もないから、
メソメソしているのが甘えに見えて歯痒くて腹立たしかったのだろう。
努力と根性の熱血漢、松岡修造を屑化したような感じで父親を想像した。
>>340
あれ? 松岡修造って、テニス嫌いな子や
苦手な子には無理にやらせない人じゃなかったかな?
>>344
いや、だから松岡修造を「屑化」したようなってことなんでしょう


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