マンガとかドラマで見る「記憶が急に甦ってきて」を、リアルで経験したこと。
大学生の時、親戚の法事で久しぶりに会った伯母(母の姉)と、
お寺の小部屋でたまたま二人きりになった時、
「去年ね、あの人がなくなったのよ。・・・えっちゃん。覚えてる?」
と言われ、「誰?」と答えた。
すると「ああーいいの。何でもないの忘れてちょうだい」と伯母が言った。
何だかなと思った。
その夜寝てて、切れぎれの夢を見た。
朱色の玉のれん、袖を切ったトレーナー、きしむ板廊下、
くせ毛の髪をポニーテールの人。
それから飛び起きて、その時にはバーーーっと思い出してた。
せっちゃんは、私が幼稚園に入るまで育ててくれた人だった。
朝を待って伯母に電話すると、
伯母は朝から長電話に付き合ってくれて、色々話を聞いた。
私が1歳の時、母が父の浮気にキレて、私を置いて家出したという。
父は浮気相手を家に上げ、子供は不要なので預け先を探してた。
その預け先が「えっちゃん」だった。
えっちゃんは父の知り合いの妹で、一人暮らししてるけど、
軽い知的障害があって、昼間の短い時間工場で軽作業をし、
あとは障害者手当で暮らしてた人だったらしい。
父はその人に白羽の矢を立て、
まとまったお金を渡して無期限で私を預けたのだという。
その4年後正式に離婚しようと母が戻ってきて、
私が父の養育でなく知的障害者に預けられてると知って、
父とえっっちゃんに憤慨し、すぐ私を引き取ったという。
その後間もなく幼稚園に入れられ、
今まで私の人生の記憶はそこからしかなかった。
伯母は子供を残した母の家出に怒り、定期的に父に連絡してたが、
私が手元にいないことを知らされず、会う機会も作れず、
母と一緒に事態を知ったのだという。
母と一緒にえっちゃんの家に行った伯母は、
袖を短く切った大人のトレーナーを着た私に会ったのだという
(子供の服を着せるという発想がなかったらしい)。
私を病院に連れて行ったが、予防注射などを打ってなかったり、
歩きが年齢相応でない(外で遊ばせたことがなかった)以外、
健康状態は普通だったらしい。
伯母は母が私を引き取った後も時々えっちゃんの元を訪れ、
お歳暮やらお中元やらと届けてたという。
去年訪れた時に、えっちゃんの訃報を知ったのだという。
電話を切った後、昔年疑問に思ってたこと
(離婚してるとはいえ父に会ったことすらないこと、
伯母以外の親戚と疎遠なこと、
子供の頃の話をすると何故か母が怒ること)が解決した。
話を聞いて母に悪い感情が浮かぶかといえば、
自分も歳のせいかあまりそうでもない。
ただ、干し柿を食べては、干しイモを食べては
えっちゃんを思い出すようになった。
いつも硬い黄色いご飯、無茶苦茶な色の手編みのこたつ掛け、
西城秀樹がテレビに出てたらすぐ教えないといけないこと、
くせ毛のえっちゃんと同じ布団で寝ると顔がくすぐったかったこと。
伯母が訪ねるたびに、
私に会いたいと言ってたらしいえっちゃんにお別れを言えなかったこと。
泣きそうになると、昔えっちゃんに教わった通り、
目をビッと横に引っ張ってこらえる。
801さんが普通に育ったのは
育児方法をを知らないだけで、愛情はたっぷりあったんだろうな
なんだか泣けてきたから私も目をひっぱることにする
ヤバいもう家族が帰ってくるのに。
目引っ張らなきゃ。
うわー!せつない!!
えっちゃんの気持ちを思うと泣けてくるよ 。・゚・(ノД`)・゚・。
ヤバス・・・私も目を引っ張ってる
わーレスありがとうございます。
初長文カキコで色々読み辛い感じでごめんなさい。
なんか時系列わかり辛いですが、
歳のせいか母には怒ってない云々は、子持ちの婆になった今の感想で、
記憶回復当時は、まー母と毎日喧嘩しました。
でも歳を取ると、私が完璧な子供でなかったように
母もまた不完全でもしょうがなかったのだ、と思うようになりました。
そんな母も今では孫大好き婆です。
えっちゃんに愛されていたか訊かれると、
保護者としての愛かはわからないけど、
愛されてたと思いますという感じです。
えっちゃんを思い出してると、胸が詰まって泣きもするけど
ニコニコしたりもするので。
いかん、目を引っ張ろう。
お目汚し失礼しました。
えっちゃんのご冥福を、通りすがりの鬼女だけど祈る
同じく目をひっぱりながらご冥福を祈らせていただく
ドラマかよw
創作乙wと言っとく
目をひっぱりながら
>>801
終わった話にすんごい亀レスでごめん。
801の今読んで、悲しくて悲しくて。
なんで、801はお母さんを許せたの?
あと、えっちゃんと801の暮らしを知って心配する人はいなかったの?
もしまだ801いたらどうか教えてー
もらい泣きしすぎて、四歳児に心配されてる
>>826
いますよー
このスレ好きで。
何で許した→私がキャパの狭い人間で、
自分の怒りで自家中毒起こしそうになったため。
私が強くて潔癖な人間なら、
「あんたなんか母親じゃない」→絶交コースだったと思う。
あと私を産んだ時母は10代で、駆け落ちのような結婚で
(父は20歳年上)、仕方ないなとも思った。
知ってる人はいたか→どうでしょう。父とえっちゃん兄
(父知り合い、まとまった金とやらをだいぶピンハネしたとか)
以外知らなかったのではないか、と思います。
えっちゃんは私には朗らかな人でしたが、訪問者や外にいる人間には
子供にも伝わるくらい警戒心を持ってて、私は訪問者があると、
2階の押し入れに自主的に隠れてました。
スレ違いだと思うのでこれで消えます。
読んで辛い気持ちにさせたのなら本当にごめんなさい。
どうかお子さんと楽しく暮して下さい。
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