そして最後の朝、
妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。
僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」
そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!
ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。
「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」
僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」
「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕はタヒが二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」
「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。
僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」
『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。タヒが二人を分つ、その日まで...』
その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。
はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!
出迎えてくれた妻は
ベッドで冷たくなっていた。。。。
何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。
妻が「ガン」であったことさえも。
ジェーンとのジョージにうつつをぬかしていた僕は、
妻がこの数ヶ月必タヒで病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!
妻は分かっていたのだ。自分がもうじきタヒぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。
毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ。
↑2-3年前?にFacebookで有名になったお話だそうです。
原文は英語で、日本語訳を載せてくださっていた方よりコピペしました。
あほくさ
と思って読んだけど
最後が泣けた
再構築切望だけど、私はこんなのごめんだな。
そりゃ、シタへの思いやりとか、配慮とかさ、大事にしたいよ。でもこんな形で報われたくない。残り少ない人生なら、シタや子どものその後も大事にしたいけど、私だって思い切り幸せ貰いたいよ。
こういう美談読むと、なんかモヤってして、幸せ貰いたいって望んで何が悪いこん畜/生って思っちゃう。
素直な気持ちになれないの、やっぱり私、痛んで病んでるんだろうね。
コメント
残念ながらシタプリどもには何も響かないよ
こんな話読ませたところで
あいつら人外だからね
シタの心には響かず、サレからは反感買ってて草。