始めて書き込みます。
ある年子の姉妹の話。
今はもう四十路になっています。
長いうえに鬱な内容です。
人によっては胸糞と感じられるかもしれません。
説明不足な点やわかりにくい点も多々あると思います。
鬱陶しい、不快だと感じられたらスルーでお願いします。
その家の両親は「しからない教育」でコドモたちの自立性を養うとか言っていた。実際、子供が何をしても叱ったことがない。
遊んだあとの玩具を出しっぱなしにしていても、友達とケンカをして相手に怪我をさせてしまっても。
何をしても「いいのよ」とにこにこ母親は笑っていたし、子供がほしいと言えば玩具でも何でも買ってあげていた。小学5年生のクリスマスに姉はティ○ァニーのピアスをねだり、デパートまでいっしょに買いに行った。
大金持ちというわけではなかったけれど、何万もするものを買い与えてしまう程度には家は裕福だった。
両親の感覚が世間一般からズレているのはピアスの一件でわかると思う。
まともな感覚を持っている親は小学生にピアスを開けさせたりはしない。開けたがっても止めるだろう。
自分の親がおかしいと、先に気づいたのは妹の方だった。
妹はこの世にはやっていいこと悪いことがあって、社会には社会のマナーというものがあると中学で運動部に入ったことで学ぶことができた。
違反した場合、それなりにペナルティがあるということも。
事実、姉はせっかく姉妹で合格した私立中学を「ピアス・毛染め禁止」という校則を掲げる学校側がいくど注意しても改めず、一年の終わりを待たずに退学になった。
両親や姉は「どうしてそのくらいで退学になるのか」と訴えていたけれど、それがルールだからだ。
そもそもこの世にマナーがあるから、街には信号や歩道があって安心して歩けるわけだ。
一つおかしいと思う点が見つかれば、自分のおかしさはいくらでも見つかった。
妹は箸の持ち方がおかしかった。食べものが口に入っているときに喋っていた。家族が全員そうだったから、それが普通だと思っていた。
家の普通は普通じゃない。そう気づいてから妹は自分の感覚を普通にする努力をした。
家の感覚を正そうと両親と姉に何度も会話を試みたが、実ることはなかった。
私立中学を退学になった姉は地元の中学に転入したが、そのころから思い通りにならないとヒステリーを起こすようになった。
妹が相変わらず私立中学に通っていたこともヒステリーを育てることになった原因だろう。
子供に甘い両親は、相変わらず姉の言うことを聞き続けた。
姉が「妹子だけあの中学に通っているのはおかしい!私が退学になったんだから妹子も辞めるべきだ!」と主張すると「そうだね。姉ちゃんがかわいそうだもんね」と言い、妹を転校させようとした。
妹は一週間ハンストして転校を回避した。
「姉ちゃんがかわいそうだから」を振りかざす両親に「転校させるなら餓タヒしてやる」と水だけで過ごした。
病院送りになった妹を見て、両親は転校を撤回した。
それから姉妹の仲は険悪になり、姉は何かあると「ハンスト」をするようになったが、食べないのは家の中だけで外ではしっかり食べていたようなので姉が体調を崩すことはなかった。
そのうち姉は荒れはじめた。学校に通わず、万引きや恐○まがいの事件を起こして補導されるようになっても両親は姉を叱らなかった。
このとき一度でも両親が叱っていれば、後の悲劇はなかったと思う。
姉は高校生になる前に、バイクで事故を起こし片足に障害を負うことになった。顔にもヤケドを負った。
「免許をとるまで運転したらダメだぞ」と、中免を所持していた父親が自分の名義にして買い与えたのだが、わがままに育った姉にその自制心はなかった。
そもそも当時姉がつるんでいたのは暴走運転を繰り返す同世代の少年たちだ。
姉は夜中に暴走運転をして、壁に突っこんだ。顔のヤケドは手術で消せても、足の障害は一生残る。大きくついた代償だった。
当然、「未成年者の無免許運転」ということで法的な措置を受けた。
姉は保護観察処分を受け、父親にも相応の罰則があった。
杖をついている姉を前に両親はケンカを繰り返すようになり、妹が最後に見た家族四人の姿となった。
そのころには妹は、自分の家族と距離を置くようになっていた。
姉が事故を起こす前に全寮制の遠方の高校を受験し、「お前の育て方が悪かった」「あなたがバイクなんか買うから」と互いを罵り合う両親のもとに障害を持った姉を置いて家を出た。
両親は離婚し、姉妹の親権は母親が持った。
両親に愛情を持てなくなっていた妹だが、姉妹とも大学を卒業することができたので養育費を払ってくれた父親にも、養育費を使い込まなかった母親にも感謝はしている。
父親はその後に再婚し、別の家庭を持ちました。
長くなって申し訳ない。
まだ続く。
そんな子供時代を過ごした姉妹だが、姉が産んだ私生児は妹の養子になった。
姉は「お金持ちのボンボン」とデキ婚を企てたが、ボンボンの実家の素行調査で托卵が露見し婚約後に破談となった。複数の男性と交際し、そのなかで一番お金持ちの息子さんを選んだようだ。
結婚に反対されないよう意図的に中糸色ができない期間まで周囲に妊娠を告げずにいたことが仇となり、姉が破談になったのは臨月に差しかかろうというころだった。
姉は育児放棄した。
母親と姉に怒りもあったが、婚約破棄を相手の「不実」だと責めた姿に二人が昔と何も変わっていなかったことに愕然とさせられた。
托卵がバレ、婚約解消となったものの婚約者実家は「生まれてくる子供を孫として迎えることはできないが、何も罪のない子供に不要な烙印は押すべきじゃない」と慰謝料の請求すらせずに穏便に済ませてくれた。
ピアスくらいで退学にさせる学校が悪い
バイクを買った父が悪い
障害まで負った子に保護観察処分なんてひどすぎる
そう言っていたころと何も変わっていない。
妹は後日、父親の後妻から姉の托卵計画が明らかになったあと、父親は相手方に後妻さんと謝罪に出向いたと聞いた。
離婚後に父親は再婚していたが、最初の結婚で陥った家庭崩壊の原因がどこにあるのか、何がいけなかったのか悩んでいることも聞かされた。
姉妹の話しに戻します。
すっかりお金持ちのミセス気取りになっていた姉は、妹に散々あてつけをした。
「結婚して三年も経って子供も産めないんじゃ、女としての価値はないわよね」
「来年には私はママよ。それに引き替えアンタは」
「あ~妊婦って幸せ~。アンタには味わえない幸福よね~」
子供ができないことを悩んでいた妹が、姉の台詞をどうとらえたのかは想像にお任せする。
それが一転、結婚できないとわかると堕す堕すと連呼をはじめ、結局中糸色できる期間を過ぎていた妊婦は男の子を出産した。
妹は結婚していたが子宝に恵まれていなかった。
定期的に入院加療が必要になっていた母親に世話はできず、「ちょうどいいでしょう」と妹の家庭に投げてよこしたのだ。
妹夫婦は迷った末に子供を養子に迎えた。
残念ながら妹夫婦はその数年後に離婚し、それぞれ別の所帯を持ったが、長男に迎えた子供は母の再婚相手と弟妹に囲まれ健康で元気に育ってくれている。
姉は最近この世を去った。
三回結婚して、そのたびに不倫して産んだ子供を捨てて、既婚男性と不倫して蒸発したときもあった。
そのたびに母親と姉は相手を責めていた。不倫された旦那さんのことや、物みたいに捨てられた子供のことはとうとう考えられない人達だった。
父親が姉を保護した時、すでに肝硬変が進行した状態で、妹から肝移植を受けたものの助からなかった。その前に母親は他界していた。
コメント
一人っ子だったので、中学生の時、に運動部に入って自分でも良かったと思う。
気付けても報告者の父親のように、子供が成長してからでは遅い。
人格障害の知恵遅れだったんだろ?
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