誘導されてきた。
いじめっ子をコ.ロ.して、この間出.所.してきた
>>613
詳しく
中学の時俺はクラスメイトのAに目をつけられた。
そいつは学区外から来ていた奴でボクシング経験のある奴だ。
地元ではいろいろな事をしでかしていたらしい。
メガネでもやしでひ弱だった俺は格好の標的となり、
半月も経たず、平気で手を出してくるようになった。
すれ違いざまに罵声を浴びせナグる蹴るはもはや挨拶レベルで、
物を隠されたり椅子に画鋲貼られたり、
提出したプリントやノートを破って燃やされたりとここでは全てを語りつくせない。
教師に言っても問題にしたくないのか、いじめをなかったことにされた。
見てみぬふりの教師陣。味をしめたそのあたりから急速にAの勢力は広がり、
過激さを増しながらクラス全員が俺をいじめ始めた。
取り巻きがけしかけた、Aとタイマンと言う名の一方的なサンドバッグにされたり、
自○ごっこと称しロープに首を通させられた俺が乗ってるイスを蹴飛ばされたり、
理科室から盗んだ塩/酸を頭からかけられ、髪は溶け、制服に穴が開いた。
急いで水道に洗いに行く俺をキャッキャキャッキャ笑ってたよ。
しばらくの間、顔面の肌が少し溶けてボロボロになってた俺を見て「ケロ/イドが来たーwww」とか言って唾吐いてきた。
その頃になると俺は何度も自○を考えるようになった。
リストカ○ト、飛び降り、飛び込みなどいろいろ考えたが、結局失敗。
それでも母は朝、俺を笑顔で学校へ見送ってくれてた。
技術の授業中、Aがいつものように絡んできた。
ちょうどその時俺は木材に穴をあけようとしていたためにキリを持っていた。
腕を持って揺さぶってくるので、「やめてよ!」と振りほどこうとしたら、キリの先端がAの手の甲を掠めた。
それでAは逆上し、何かをわめきながら角材で俺を滅多打ち。目が覚めたら保健室のベッドにいた。
ここでK察でも呼んでくれればよかったんだが、
隠蔽体質の学校は内々に処理し、Aはたった数日の停学処分になった。
正直退学にしてほしかったが、せめてこれでなんとかなって欲しいと祈った。しかし、そうはいかなかった。
停学3日目の深夜、Aは俺の家に放.火した。
平屋の木造一軒家だった俺の家を周囲にガソリンをまいて可燃物を積み、
玄関のドアを封鎖して火をつけてきた。
その時両親と弟と俺は寝ており、俺は暑くて○臭くて最初に起きた。
何が起こったのか分からず、家族全員を起こしてから、とるものもとりあえず脱出することに米青いっぱいだった。
結果的に、家は全焼した。
しかし、助かったのは俺一人だけだった。
ストレスで衰弱していた俺は、痩せていたおかげでトイレの窓をブチ破って何とか逃げることが出来た。
しかし、両親も年子の弟も火の勢いが早すぎて逃げ出すことが出来ず、崩れた家の下敷きになった。
犯人がAだと知ったのは2日後。
あいつはK察に連れていかれた。
結果、Aは少年ケーム所みたいなところに送られたらしい。
らしいというのは、その頃の記憶がないから人伝で聞いた。
A家からはとんでもない額の慰謝料を渡されたが、
その頃には俺の腹はもう既に決まっていた。
隣県の叔父夫婦の助けもあって高校まで出してもらった。
高卒でもとにかく一人で生きて行けるよう、迷惑をかけないように生きることを目指した。
Aが出所してくるその日まで。
数年後、待ちに待ったその日。
俺は探偵を雇ってAの収容されたケーム所と出所日を突き止め、
出所してきたあいつの後をつけ、ラチした。
麻袋をかぶせて視界を奪い、改造ス.タ.ンガ.ンを押しあて縛り上げた。
そこから2時間かけて地元民でも入らないような山の中の廃屋(改造済み)に運び、
これまでの償いをさせた。
コメント
そんなガッツある奴なら、どうあれ最初からいじめられてない定期
社会的弱男の布団の中の妄想
話の外に真に憐れむべき人間が居る事がただただ悲しい
ウソくせぇんだよな。
自動鞭打ち機のあたりでさすがに笑った