フェイクたっぷり。
当方アラフォー女性。
私は小学生の頃に縁があってアマチュア無線電信級の資格を取得しました。
その後、商工会議所の英文タイプ検定C級に合格。
資格・試験というものが好きだった私は気がつくと、珠算や英検など、
取れそうなものは片っ端からチャレンジする子供になっていました。
中学生の頃は語学系を受験しつつ、簿記、ワープロなど年齢制限が無いものを。
高校時代は電験三種、危険物取扱、フォークリフトなどを。
大学時代は語学系の最高レベル数種と薬剤師と理科教員免許などを取得。
大学卒業後は会計士や近年増えた民間系資格を取得。
今も暇を見てご当地検定など受験しています。
それが面白くなかったのが、叔父Aの子供、私のイトコK太とF美。
「女には学歴は必要ない」
「薬剤師の免許なんて私にはもったいないからよこせ」
「会計士免許クレクレ」
などと親戚の面前で暴.言.多数。
父や私はスルーしていたが周囲の人達は暴.言.を快く思ってなく、都度諌めていたが
効果なし。
私が子供の頃、伯母G夫が経営する会社で父が働いていて、私は父達の手助けを
したいとアマチュア無線(山奥で働く人と交信する)や簿記(伯母Gの手伝い)、
危険物取扱や電験三種を取得したことを叔父Aもイトコ達も知っていたはずなのに。
イトコ達は事あるごとに
「自分の優秀さを周囲に見せ付けたい為に私は資格を取っている」
と言い続けていた。
私は、バカかと思って放置していました。
暴.言.を言われ続けて10年余。
子供の感化を受けた叔父Aがある日。法事で田舎村の実家に帰ってきた私に
なぐりかかってきた。
「私の会計士免許よこせ(叔父Aは何度も落ちてる)。ついでに体もよこせ。
上手い具合につかってやる」
と言いながら膀胱に及んだ。
その間にK太とF美が私の鞄からサイフと家の鍵を奪い、免許書に書かれた住所を
たよりに我が家に侵入。貴金属と資格証明書や合格証が入っているファイルを泥。
叔父Aは、私の叫び声を聞いてやってきた父と近所の人に取り押さえられた。
K太とF美は、自宅に帰ってきたところを親戚が捕獲しK察に突き出された。
叔父A親子は「親戚間のトラブルにK察を挟むのは筋違い」と言っていたが、
父や周りの人の進めもあり、私は被害届を出しました。
貴金属は無事だったが外国語で書かれた証明書類は
「意味が解らないから」
と川に投げ捨てられていた。
それらは海外で取った資格で、中には証明書を再発行してもらえないものが複数あった。
うちひとつは現在伯母G夫が経営する会社がB国と取引する際に必ず必要な資格。
私の資格を使って取引が成り立っており、社の年利益の八割を占めていた。
昔は外国人でも簡単に取得できたが現在は、B国の学校を卒業しなければ受験資格が
得られない。加えて年齢制限が設けられたので現在の私に再取得は無理。
資格が無くなった私は会社を辞めることになりました。
他にも、再取得の為に現地の大学院を卒業しなくてはならない資格がいくつかあった。
私はイトコ達への損害賠償請求に、再取得の為の経費・留学・生活費も加えた。
イトコ達が私へ払う慰謝料・損害賠償の額が9桁となった。
叔父Aに対しては、それなりの額の慰謝料ですませました。
伯母G夫が経営する会社は倒産しました。
イトコ達は伯母夫Gの会社からも訴えられた。損害賠償額は10桁。
イトコ達の財産だけでは到底足りないので、叔父Aの経営する複数の会社と叔父A妻の
持っていた不動産をすべて譲ってもらうことで合意した。
さらにイトコ達は叔父A妻親族から借金したとか保険金の受取人を変更したとか色々聞いた。
叔父Aとイトコ達は借金を返す為に、遠い土地に働きに出て行った。
叔父A妻は離婚して実家に帰っていきました。
あれから数年。
昨日、K太がタヒに保険金が伯母G夫に入金されたと聞いたので
思い出として書き残しておきます。
叔父A親子の襲撃計画は親戚が経営する居シ酉屋で話し合われていて、親戚を通じて
私に筒抜けだったのです。
父は朝から隣の家のご隠居さんの家で、隠れてコソコソしていたのです。
私は実家村から少し離れた中都市にマンションを借り、そこに住所を移した後
免許の更新をしたのです。
部屋には二束三文だけど見栄えだけは良い貴金属と、資格・合格の免状のうち
再発行しやすいものをまとめてファイリングしていたのです。
海外の有用資格のうち、十年先に廃止・意味が無くなると言われていたB国関連の
証明書のみ、資格ファイルの横に添えていたのです。
B国関連の証明書は現地語で書かれていたので、ゴミと勘違いされやすいよう
現地の広告と一緒にしておいたのです。
丁度B国との商売が実入り悪くなりそうな気配があったので、ここで何か起きて
証明書が紛失したら面白いことになるな~と思っていたのです。
伯母G夫は、年齢のこともありそろそろ隠居したいと言っていたのです。
叔父A妻の親族に著名人がいたので、色々と穏便に済ますために大金が動く
だろうな~と考えていたのです。
伯母G夫が経営していた会社の社員さん達は私以外全員、
叔父Aから譲られた会社に再就職できました。
伯母G夫は隠居しました。
叔父Aから譲られた会社は現在、伯母G息子が経営しています。
私は田舎村を離れ、交通の便が良い場所に畑付き一軒屋を購入。
父と二人で土にまみれてのんびり暮らしています。
資格取得はまだ続けていますよ。
おしまい。
屑親族の資産を根こそぎ奪い取った話か
ま、自業自得だわな
今日は明治生まれの祖母のお葬式。
枕番中、祖母の顔を見ていたら思い出があふれてきました。
>>260は枕経から通夜の間に、ぽつぽつと書いたもの。
これは、その後に書いたもの。
去年の正月から祖母のボケが酷くなり、とうとう施設へ。
ちょうど私の仕事場が施設の近くだったので、時間がある限り祖母の部屋に顔を出し
ていましたが、歳のせいもありとうとう寝たきりに。そして老衰で眠るように去りました。
祖母の枕行をしてくださった住職(伯父Dと同級生)が「わたくしが生まれた時とりあげて
くださったのが祖母様で~」と話し始めたときは驚きました。
前住職とは尋常小学校時代のケンカ仲間で、祖母はよく先生方に叱られて廊下に立たされて
いたのだそうです。
いやはや私よりオテンバ娘だったとは・・・・・・
私が幼稚園に入ったばかりの頃。あれは入園式の一ヶ月ぐらいあとだったでしょうか。
母と弟の遺影を抱え、小さな車に家財道具を積み田舎村に来たときのことは、よく覚えています。
伯母Mと伯母Gが、炊き込みご飯と鮎の塩焼きと豚汁を食べさせてくれました。
伯父Dが、薪をくべて五右衛門風呂を沸かしてくれました。
夜は祖母が一緒の布団で寝てくれて、昔話を聞かせてくれました。
都市部暮らしだった私には始めての田舎の夜。街灯がほとんど無いので外は闇。
怖いぐらいの数の星が空で瞬いていて、祖母にしがみついて眠りについたあの日のことは
今でも忘れられません。
祖母は私をたけのこ掘りにつれていってくれました。山菜採りも教わりました。
目が悪くなるまで毎年私のゆかたを縫ってくれましたね。
女には学問はいらないから高校は商業科に進め、普通科は男子に譲れと担任に言われた時。
祖母が親戚の人を通じて抗議し、私が理数科に進めるようにしてくれました。
高校時代までは勉強で入用な書籍はほとんど祖母が買ってくれました。
自治医大に落ちた時。学費なら心配するな医者になりたければなれと言ってくれてありがとう。
6年間も高い学費を払ってもらいその後も研修が終わるまで生活費を補助してくれるよう
おねだりする度胸は、私にはありませんでした。
学費が安いので薬学部にしましたが。学費は育英会と伯母Gから借りましたが。
「イモやニンジンを売った金が農協にあるはずだから、困ったときにはそれ使え」
と言ってはげましてくれてありがとう。
今でもたまに、イモやニンジンを見ると、その時の会話を思い出します。
「( ´Д`) おばーちゃん。いつから農協で貯金していたの?」(←素朴な疑問)
「(・ω・ )おまえが生まれる前からずっとイモとニンジンは農協の通帳にいれてある」
「(;´Д`) ・・・・・・」(←イモとニンジンの個数が書かれてある通帳を想像した)
「(・ω・ ) とにかく金はある!」
会計士の実務経験が必要な時も祖母は色々と口を利いてくれました。
修了考査に合格した時はお赤飯炊いてくれました。それが、祖母が台所に立った最後だと
通夜の時に伯母Mから聞きました。
嫁にも行かず四十女が会計士なんて、と陰口を叩く人もいましたが
「ならお前さん、同じ試験に通ってみろ」
と祖母が言い返していたとも聞きました。
私の味方が一人減ったと思うと悲しいです。
火葬場から帰ってきて、精進落しの食事が終わって、一息ついたところです。
骨壷を仏壇の前に置いて、これを書いています。
おばーちゃん、ありがとう。
母が中学生の頃になくなったという祖父と、今頃あの世で再会しているのでしょうか。
ああ、先に母と弟、伯父D、伯母Gが逝ってましたね。イトコも。
手続きで戸籍を見ました。母は、おばーちゃんが私と同じ歳の時に生んだ子供だったんですね。
当時の高齢出産は大変だったでしょうに・・・・・・
書きなぐったら、ちょっとすっきりしました。
ありがとうございました。
もう少ししょんぼりしてから、喪服脱ぎます。
こんどこそ本当に おしまい
もう書かない、泣かないよ。
>>260
大往生だったね
今頃天国行った親族たちで賑やかにやってるんじゃないか
七夕だし、特におじいちゃんは彦星のごとくおばあちゃんを待ちわびてたはずさw
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