>>791 遅くなりました。続きです。
ここでよく言われるような写真等はなくメールだけでしたが、
「化粧もしないでオバサンどころかおばあさんだ。」とか、
「君の百分の一でも聡明で、美しければ家に帰るのもこんなに苦痛ではないのに。」とか、
「あんな女の子供だから将来もたかが知れてるだろう。君との間に賢くて、かわいらしい娘がほしかった。」
などと書かれており、F子からは、
「おばさんだから年寄りの気持ちがわかるんだから、介護職にはちょうどいい人だよね。」とか、
「女捨ててるって~さん(旦那の名前です。)がかわいそうで、涙が出そう。」
等のメールや、「今度は~ホテルで遊ぼう。」や『ベッドで~さんに頭を撫でてもらうと落ち着く。」などとあり、怒りが過ぎると頭が芯から冷えるというか、たぶんその時の私の顔は真っ青だったと思います。
あまりにも悔しくて涙も出なかった。絶対に後悔させてやることを誓った。
しかしながら、証拠はメールだけ、どうするか考えた。
考えても名案が浮かばず、ずっと悩んでいた。
そんな時義母と買い物に行った際、私がレジでお金を払っている間に勝手にスーパーの外に出て
自転車とぶつかるという事故が起きました。両足の大腿骨を骨折し、入院することになりました。
この義母の入院を旦那と旦那兄弟に責められましたが、このことに関しては、私も旦那の浮気の証拠をどうやって手に入れるか、気もそぞろだったので、申し訳なく思っていましたが、この入院によって思いがけなく時間が手に入りました。
まず、私は浮気相手の身元調査を興信所に依頼して情報を手に入れました。
旦那の会社の取引先のOLでした。
浮気調査も依頼しようかと思いましたが、離婚した後に少しでもお金を残しておきたかったのでココセコムを契約して、夫のカバンにGPSを仕掛け位置情報を手に入れることにしました。
浮気にはホテルの他にF子のアパートを利用してることがわかりました。
ホテルはいろいろなところを利用しているようだったので、F子のアパートに的を絞って祥子を取ることにしました。
旦那から、食事はいらないと言われた日に、F子のアパートの近くで車を停め、夫とF子の浮気の動かぬ証拠をやっとの思いで手に入れました。
これを10回ほど繰りかえし十分に証拠を手に入れました。
ついでに旦那のカバンにばれないようにICレコーダーを毎日仕掛け、音声データも手に入れました。
どれほど私のことを舐めているのか、私を疑うこともなく本当に簡単に手に入ったのです。
続きです。
そこからは、まず子供な学資保険を旦那に一括振り込みをすることをお願いし、まず我が家の貯金をぐっと減らしました。
1人700万入っていたので、700万×3人分で、まず、養育費を確保しました。
これに関しては子供の権利であると思っています。
浮気に気付いてからは、旦那の口座には、一定額しか残さず、
残りは現金で、貸金庫に確保、生活費は貯金からだし、共有財産の額をどんどん減らしていきました。
そして、あとは家をどうするかです。結局ローンが残っていたので、ローンを私が払うということでもらうという条件を出すことにしました。
そして、旦那の荷物をまとめました。
旦那は玄関に荷物がまとめられているのを見て最初きょとんとしていましたが、証拠を見せて離婚したい旨を告げると真っ青になっていました。
その時にはすでに子供たちには離婚の話を通していたので、夫の味方は誰もいません。唯一の味方の義母は、認知症で、両足骨折で入院中です。
夫は初めて私の存在を思い出したのではないでしょうか。今まではただの家政婦ですからね。
そこからは、早かったです。裁判にかけると夫に言われましたが、子供は3人とも私についてくると言っていますし、今まで夫の両親の介護等をやってきたので、財産に関しても有利でしたし、弁護士に相談するも、妥当な要求だと言われたようでした。
実際義母の生活費を兄弟で3分割していなかったことで、夫の弁護士は預金額に何の疑問も抱かなかったので、こちらの要求が通りました。
私名義の預金も調べたようですが、そんなもの現金で貸金庫に入れてるのにあるはずがありません。
預金の半分と家をもらいました。私はわざとその時F子には慰謝料の請求をしていませんでした。旦那とF子が別れてしまっては面白くありませんから。
結局離婚が成立した旦那は、家を出ていきました。
その時には義母がまだ入院していたので、旦那には介護の大変さはわかっていなかったようです。
旦那は家を出ていくとF子と付き合い始めました。この時はF子も旦那との結婚を考えていたと思います。
二人で同棲を始めたようでした。F子の元居たアパートの倍くらいの所に住み始めました。
私は旦那の懐具合を正確に把握できてたと思います。
半年ほどしてからF子の会社に慰謝料請求の内容証明郵便を送りました。
旦那とF子がドナり込んできましたがK察を呼んでやりました。
旦那とF子はK察に抵抗し、公務執行妨害で連れていかれました。
K察からは私の夫だと主張しているとのことなんですが、との問い合わせがありましたが、
もちろん旦那ではありません。
離婚しているのに押しかけてきて怖いと言っておきました。
結局F子からは、50万しか取れませんでしたが、(頑張ればもう少しとれたと思いますが、面倒になってきた)そん変わり、慰謝料の領収書をF子の実家に届けに居て、事情を説明しておきました。
その後、旦那はF子とうまくいかなかったようで、我が家にストー力ーまがいのことをしてきたので、我が家は家を売って引っ越しました。
そして、結局一人になった旦那に義母を旦那兄弟は押し付けたようで、娘のところに旦那から助けてほしいとのメールが来ましたが、
「寝言は寝て言え。」とのメールを最後に家族全員形態を変えたので、今どうしているのかは知りません。
思ったより長くなってしまったし、読みにくい文章でごめんなさい。
まあ、大体こんな感じです。
>>791-794
素晴らしい
立派にやり遂げたんですね
元旦那にはふさわしい末路です
これからの人生、存分に楽しんで下さい!
>>791>>793-794
GJ
介護を妻に押し付けて愛/人こさえるような鬼畜夫は妻や子に捨てられて当然。
「復讐は一つの美しき正義なり」って大昔のドラマの伊武雅刀の台詞を思い出しましたよ。
コメント
大変な介護を随分な期間してやったんだから、預金を予め移していても給料として妥当だわ
ちゃんと戦った偉い女性だ
鬼畜旦那は得難い女性を失ったな
ずるいのではなく、強い女は大切にすれば自信も幸せになれるのに
何なんだろうね、親を施設に入れようとすると口を出してくる親戚と兄弟
「母が可哀想」って、、、可哀想なのは私だ!
投稿者の決断と用意周到さにGJ!
「家族全員形態を変えた」にワロタ。携帯ってわかってるけど、ついフリーザ様みたいに変化していくのを想像してしまった