実は、四半世紀以上前のことだが憤りに任せてビシビシ情け容赦なしに
分かれを進めて自分は再婚し子も生まれて独立し今も幸せだが元妻の
癌病タヒを知って情けをかけても良かったかもと思っているのだ。
一緒になった年上の相手とは子も生さず早くにタヒに分かれての親せき
付き合いもない孤独な最後だったとか・・。
今の妻と二人きりになってドライブして思い出の場所に行き
「此処であんなことやこんなことが・・・。」
というと
「一緒になってからあなたは仕事ばかりで来たことはありませんよ。」
といわれ
「そうだった、此処には30年前に元の妻とオンボロ車で来たのだった。」
思い出すことがよくある。
今の妻に詫びて頭を下げるがなんだか思い出すのは元の妻との
思い出ばかり・・・・、たはは。
まあ、情けなくって噴飯ものだと言われているが分かれるにしても情けを
尽くして相手の言い分もしっかり聞いて夫婦の縁を切ったほうが以後の
人生の軌跡がお互いにどうなろうと納得できるのじゃないかな。
いまが幸せだから感じる贅沢なのかもしれないが、失言のたびにペナルティ
プレゼントはシンドイ。
ボケが始まりだしたらどうなる事やら。
でも、もう大丈夫。がっつり締めあげておあげなさい。
>>471
同年配とお見受けする。
> 憤りに任せてビシビシ情け容赦なしに分かれを進めて自分は再婚し
当時厳しい別れを選択し、再婚してその後の人生が満ちていたからこそ初めて
> 情けをかけても良かったかも
と、今思えるのですよ。
今の奥さんに感謝するべきです。
もし当時情けを掛けていたら、この様に思えた人生とはかけ離れていたと推測します。正しい選択をしたと思いますよ。
>>475
ありがとう、私もそう思います。
元妻は大学で出会った美術の才に恵まれた燃えるような美人でした。
結婚した後、私は仕事が忙しく面白くなり、数年子供ができないと
悩む元妻を構いきれず(ドライブなど頑張って行ったりしていたのですが)
定年退官したての人が始めた美術クラブに参加したのです。
鈍感な私は、何もわかりませんでしたがクラブ参加者の中で噂になり私の母が
こっそり調べて私に証拠と共に告げました。
びっくりして怒った私は何の言い訳も聞かず泣き叫ぶ元妻を離縁しました。
その時、元の妻の心情など斟酌する余裕は有りませんでした。
噂が大きくなりすぎていました。
其の後、元妻は家庭崩壊した退官美術教師と駆け落ちするように去りました。
抜け殻のような仕事一筋の私の為、農協に高卒で勤め出した今の嫁を探して
見合いさせたのは母です。
最初に今の妻を見たときは「じゃがいもに目鼻をかいて踏ンづけたような娘」
と思いましたがどうでも良かった
私は結婚しました。
成績優秀なのに農家だから娘に教育はいらないと短大にもやらず就職させられた
今妻は、「何が何でも農家にだけは嫁ぎたくない一心」だったと申します。
仕事ばかりしてかまってくれない私でも農家よりはましと支えてくれて実家とも
仲良くやり子供もできました。
子供も器量はいまいちですが成績もよく気立ても良く育ちました。
夫婦二人になって「愛しているといってみるスレ」を見て自分もぼそっと言って
みたところ目を赤くして
「私みたいなのにもったいない。私もです。」と言われました。
昔も今も、女心の機微を知らない唐変朴ですが今の妻に捨てられなくて良かったです。
>>437
お辛かったですね..
あなたは悪くありませんよ。
しっかしお母様に頼りっぱなしでんな
>>476
良い奥さんと再婚出来て何よりでした。
人生の後半を大事になさって下さい。
コメント
感謝してる風で今嫁と子供をまだ貶めているのに気が付かないようで。
報告者、機械みたいな人間に思える
※1
一応謙遜、と前のが見栄えばっかり派手でそれに痛い目にあったから裏返しかな、と。
浮気したやつの言いわけなんて一切聞く必要無し
どうせゴミ以下のことしか言わないからな
まあ、自分酔ってる気持ち悪さしかない男だこと
何が「たはは」だよ気持ちわりぃ
未練たらたらじゃねーかよ
母親が見せた証拠って言うのが、捏造だったりしてな。
人生全ておかぁちゃんのなすがまま。それはそれで幸せなんだろな
この人は再婚して子宝に恵まれているから、元嫁が不妊症だったんだろうな
婚姻時に子供さえ生まれていたら違う未来があっただろうに、切ない話だ
今嫁さんは人間が出来てそうだから、感謝の気持ちを忘れずに