相手がタヒんで、復讐のような何かが終わったので。
俺が中学入りたての頃、父がタヒんだ。
タヒ因は交通ジコ。
前日まで旅行の計画を嬉々として立ててるような元気さだったから、
余りに急な事で訳が分からなかった。
俺も母も殆ど茫然自失で、まともに物事を考えられる状態じゃなかった。
そこに現れたのが叔母。
父の妹で、家は隣町、父との仲も良好。
普段は人当りも良くて俺も可愛がってもらった記憶がある。
でも、父のタヒの直後、叔母がやった事は俺と母から遺産をむしり取る事だった。
友人らしい何人ものおばさんと一緒に俺達を逃がさないように囲んで、それはもう口汚く罵った。
「以前から兄さん(俺の父)に対するあなたの振る舞いは目に余る物があった」と母をなじり、
「兄さんの息子とは思えないぐらい成績が悪い」と俺を見下した。
「あなた達みたいな人間が兄さんの遺産を受け取るなんて恥ずかしくないの?」とも。
そうして詰め寄られるまま、判断能力を著しく欠いた俺と母は結局遺産の譲渡を了承してしまった。
本当に馬鹿な事をしたとずっと後悔してる。
男の俺がしっかりしておかなきゃいけなかったのに。
その後、俺と母は最低限の生活物資だけを持って家を追い出された。
元我が家の名義は父の物で、勿論叔母の物になってしまったため。
後日気の迷いで様子を見に行って「売家」の看板が出ている事にどうしようもない怒りがこみ上げたりもした。
大黒柱をなくし、貯金もあるけれどそれだけで全てを賄うには遠い。
母は俺を養うために飲み屋で働き始めた。
呑兵衛だった父の飲み友達が何軒か店を経営していて、そこに雇って貰えたらしい。
だけれど、叔母はそれを信じなかった。
夜に働きに出る母を見て、フーゾ*店で働いているものと決めつけた。
時折俺と母が住むアパートに顔を出しては母を「売/*婦」と罵った。
「いくら離縁したとは言っても兄さんの元妻がこんなバ.イ.タ.だなんて恥ずかしい」
という言葉を良く覚えている。
父とは上記の通りタヒ別なのだけれど、叔母の中では母は父に愛想をつかされて追い出された事になっているらしい。
叔母の嫌らしい所は、気の弱い母しか家に居ない時間帯を狙って来る所。
若くて体力のある男である俺が学校から戻る前にそそくさと帰っていく。
俺が気付けたのはたまたま風邪で休んでいた時にぶち当たってくれたお陰。
力づくで追い出した後に母に話を聞いて、やっと知れた。
心配させたくなくて黙っていたと泣く母を見て、叩き出すんじゃなくその場でコロしておくべきだったと本当に悔やんだ。
追い出しに成功した後は叔母の干渉は無くなった。
大きなストレスの原因から解放されたからか母も段々と顔色が良くなり、明るい振る舞いも増えた。
見えると辛いからと仕舞い込んでいた家族三人が写った写真立てがいつの間にか表に出たり。
ちょっと余裕が出来たからと、父と行けなかった家族旅行に出かけたりもした。
そうして、十年以上も何事もなく平和だった。
時間というのは本当に優しいもので、俺が抱いていた怒りは小さくなって殆ど意識しないほどになっていた。
このまま暮らしていられればそれで良かったのに、今年の頭に叔母から従兄経由で連絡があった。
どうしても話したい事がある、と。
勿論俺は断った。
あの叔母のせいで俺も母も本当に無茶苦茶に傷付いた。
これ以上人生をかき乱されたくないというのが正直な気持ちだった。
だけれど従兄はしつこく食い下がって、最終的に叔母の現状を教えてくれた。
末期の癌で、余命宣告もされてもう長くない。
そんな状態で、タヒぬ前に俺と母にどうしても話をしたいと言っている。
従兄は叔母の最期の願いを叶えたかったらしい。
数日時間をもらって悩み、母には知らせず、俺だけで良いならと顔を出す事にした。
叔母は見る影もなくやつれていた。
俺と母をなじっていた面影はどこにもなかった。
話が始まると、叔母は頭を下げた。
人生の最後に自分のこれまでを振り返って、どうやら叔母は罪悪感に取りつかれたらしい。
もっとも、
「幾らかはあなた達にも残すべきだった」
「私が厳しすぎたせいであなたのお母さんに体を売らせてしまった」
という言葉に後悔と反省が含まれていたとは、俺は絶対に認めないけれど。
俺が叔母の言葉をどう思っているかも知らずに、叔母は言葉を続けた。
「このままではタヒんでもタヒにきれない。
償いなら何でもするから許して欲しい。
兄さんも私とあなた達が不仲なままなのはきっと良く思わない」
怒りと呆れで頭が沸騰しそうだった。
ここまでの謝罪(とは俺は認めてないけれど便宜的に謝罪とする)は、従兄も聞いていた。
従兄は可哀想だったよ。
聞いている内に明らかに顔色を悪くして挙動不審になって、しばらくすると顔を覆って俯き「なんだよそれ」と繰り返すだけになっていた。
知らなかったんだろうな。
まぁ普通に考えてわざわざ自分の身内を囲んで罵って遺産を奪いました、なんて自慢はしない。
だから協力を取り付けるのは簡単だった。
何でも償いをするという叔母に、俺は要求した。
・従兄に遺産の相続を放棄させる事
・生前分与も一切認めない
(叔父は既に離縁済)
従兄は明らかに動揺していたが、了承。
叔母は更に激しく動揺、困惑して条件変更を要求した。
が、遺産を受け取る従兄自身が「絶対に受け取る訳にはいかない」と拒んだために、渋々了承する形となった。
後日、叔母と従兄と俺の間で念書が交わされた。
この時にも叔母は随分とゴネた。
「家族がタヒんだ時に遺産がどれほど助けになるかはあなたも良く分かっているはず」
「今私は本当に後悔している、あなたに同じ思いをしてほしくない」
どの口が言うのかという言葉は、俺に代わって従兄が言ってくれた。
大の男が声を荒げてさっさと署名しろと自分の母にドナりつけてまで。
言い訳になるけれど、もし叔母が一言でも本当に真摯に謝ってくれたら、俺はこの先はしなかった。
黙って念書を手に帰って、自分の心に折り合いを付けようと思っていた。
でも、本当に不機嫌そうに嫌々署名し、捺印の直前で再度ゴネた叔母の姿に俺はどうにも我慢できなかった。
「自分が今まで積み上げてきた物を、自分の子供に一切残せずドブに捨てるって、一体どんな気持ちですか?」
俺が聞くと、叔母は顔を真っ赤にした。
唾を飛ばして何かを喚いて、ボールペンを俺の頭に投げつけた。
俺が叔母を見下して嘲笑ったと思ったんだろうな。
でも本当は違うから、俺は説明してやった。
「それが、あなたが兄さん兄さんって慕っていた俺の父にやった事です」
暴れてた叔母が笑えるくらいピタリと止まったよ。
これだけはずっと突き付けたかった。
俺への仕打ちは別に良い。
母の事は良くないけど、もう忘れたから良いと本人が言ってるから良しとする。
だけど親父に対する叔母の裏切りだけは、俺は絶対に許したくなかった。
その後叔母とは顔を合わせなかった。
俺は念書を持ってすぐ帰ったし、呼び止める叔母の声も無視した。
しばらく後に従兄に電話した時に、急激に頭がおかしくなったとは聞いた。
今度こそ本物の罪悪感に苛まれたように見えたと従兄は言っていたけれど、あの叔母の事だからどうだろう。
でも本当に幾らかでも苦しんでくれたなら嬉しいと思う。
浅ましい事だけど。
ちなみにこの電話の際、素人が見様見真似で作った念書に効力があるとも思えないし、そもそも俺の方は念書を燃やしたと伝えた。
そうして先日、叔母はタヒんだらしい。
知らせてくれた電話口の従兄は何度も謝りながら、叔母の遺産を相続したいと教えてくれた。
別に知りたくもなかったし、俺が許可を出す筋でもないのに。
以上。
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