小中学生時代、両親が苦手だった私にとって
父方の叔父さんが唯一の心の癒しだった。
笑顔が素敵でぬいぐるみみたいに丸くて柔らかで、
人生損してそうなほど優しい人だった。
うちの両親が共働きで不在がちなのを良いことに、
近所の叔父さんの家に頻繁に遊びに行ってたけど
中学に上がった頃、母が叔父さんを入院させる事件が起きた。
叔父さんが私のことで母に相談したときに、
叔父が私にいたずらしていると誤解した母が逆上して
睾丸を潰そうとしたらしい。
ベッドで苦しそうに横たわる叔父に申し訳なくて、
ただただ「ごめん」としか言えなかった。
相談というのは私が中学生になっても一緒にお風呂に入りたがったり、
同じ布団に入って抱き付くことについての懸念で
母の誤解を解くために私が説明するうちに、
口止めされていた普段父が私に何をさせていたかが母の知るところとなった。
当時自覚はなかったけど性/的虐.待.というやつで、
両親は離婚、父方とは絶縁して母と暮らすことになった。
母との生活は隠しているつもりの私への軽蔑が常日頃伝わってきて、
高校出て就職したときは本当にほっとした。
叔父とは絶縁後も隠れて連絡をとりあっていたけど、
昨年末に彼女を紹介してもらって修羅場に一区切りついた感じがする。
>>649
父親は屑、母親も結局…か
叔父さんと649さんが幸せに暮らしてることを祈る
>>649
父親の玉はどうなったのかな?
>>651
潰す玉間違ってるよね
私は兄に性/的虐.待.?されてたな
兄も子供だったから本格的ではなかったけど
父は関係なかったけどやっぱり離婚になって、私は母親に引き取られた
それで母親には責められた
あんたのせいで離婚になったって、遠回しに
「きちんと拒絶してればこんなことには」とか
酷い時は「黙ってればよかった」ってこぼされたことも
だからやっぱり高卒で逃げたよ
逃げる時が最大の修羅場かな
私を逃すまい、今離れても一生粘着するって感じで必タヒだった
「私を捨ててあんただけ幸せになるんか!」ってさ
離婚するまでは優しい母だったんだけどね
今は「戻って来い」って感じの短いメールが来る(返信せず)
住所知らないから慣れないメールしか方法が無いからだけど
前に手紙だったころは
「戻って来い」+「ごめんなさい」+
「今度は優しくできる」+「あの時あんたが~しなければ」w
的な長文だったんで引っ越した
ちなみに父とだけは連絡とってるけどそっちには連絡ないみたいだ
兄は父と何かあったらしくやっぱり行方知れず
>>649
優しい叔父さんがいてよかったね
>>654
>あんたのせいで
きっついよねえ、それ
>>649です。父は潰されるとかはなかったけど母に罵倒はされていました。
>>654
私も母親視点だと父親の共犯者で
「お前が誘ったんじゃないか」「何故こんな子になったのか」
という様なことを言われました。
私は家を出たあとは母とすっかり疎遠だから、
654さんは本当に大変だと思います。
一時期は本気で叔父さんと結婚したいと思ってたけど、
今は叔父さんが幸せそうで私も嬉しいです。
彼女さんも優しそうで良い人だったし上手く行ってほしい。
コメント