高校三年生の夏に、大学には進学しない。
就職して高校卒業したらさっさと家を出る。って主張したら家族会議が開催された
私の言い分は
・私は口答えをしたら食事抜きにされた。成績が少し下がれば携帯没収された。
門限にちょっとでも遅れたら締め出された
・でも私より遥かに成績の悪い弟はご飯も毎日食べさせてもらえたし
私が受けてきた罰は全く受けなかった
・弟の顔を見ると憎しみしか湧かない。母の顔を見ると吐き気がする。早く出ていきたい
母は「子供ごとに違いはあるんだから育て方が違っても当然」と、
よくあるような弁解をした
・これだけはっきりと分かるぐらいの差を付けられるほど大きな違いが私と弟にあったのか
・そもそも私の方が成績や素行はよかったんだからむしろ私の方が自由を認められるべきだったんじゃないか。頑張れば頑張るほど報われないっておかしいと思わないのか
・それ以前に私だけに厳しくして弟には甘かった理由を教えろ
と反論した
母に「●●(弟)は弱くて繊細な子だから」
「女の子の人生は辛くて厳しいんだからちょっとぐらいの理不尽には慣れておかないと」
と言われた時、私は涙を堪えきれなかった
私は守るべき子供だと思われなかったんだ。だから大切にされなかったんだ。
女の子だからという自分じゃどうしようもない理由で色々な経験の機会を奪われてきたんだ
この人には何を話しても駄目だ。諦めよう
そう思って「つまり私はお母さんにとって守ったり愛したりするに値する子供じゃなかったんだね」
と言い残して部屋に戻ろうとした
すると、それまでずっと母に唯々諾々と従ってた父が
「やっぱり僕らがやってきたことって間違いだったんじゃないかな」と呟いてくれた
テーブルをひっくり返して喚きだした母を見て、私はなんだかワクワクした気持ちで部屋に帰った
次の日から私は祖母の家で暮らすようになった
家と違って笑える。喋れる。居間で家族と一緒にいても吐き気がしない。
17年間溜めてきたものがたった半年で洗い流された
その後は結局父と祖母に説得されて進学した(ただし大学ではなく専門学校。手に職を付けたかったから)
言葉にしていればいつかは誰かに理解してもらえるんだっていうことを
随分と長い時間をかけて知った
父さんが人の心境に寄り添える人間でよかったな
躾ってのはあくまで子供のためのものであって、
その躾によって子供の心身や将来に問題が生じれば本末転倒だ
せめて反省する素振りぐらいは見せなきゃダメだ
いや、私はこの父親がクソだと思うよ
母親の間違いを(恐らくは知っていながら)放置していた
まぁ意固地でヒステリックな妻が相手だと父親も大変だったとは思う
家にいる時間は母親の方が圧倒的に長いんだし、母親による娘へのギ.ャ.ク.待や母息子の癒着に対して父親が出来ることは少ない
誰がクソという話は置いといても
毒家庭から脱出した>>823の勇気と知恵に乾杯
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