お風呂ってことはおうちにいられてるのかな病院じゃなくて
>>24
今は退院しておうちにいてます。今年はガキ使おうちで見られる
血液検査の結果、異常に血が濃く(?)て正確なデータが取れなかったのと、
とりあえず夜も遅いし一晩病院で過ごすことになった。
このときすでに、喉の腫れと粘膜障害みたいなので物が飲み込めず、
食べ物も飲み物も口にしてなかったから体重が夏前から4キロほど落ちていた。
不安としんどさで寝付けないまま次の朝を迎え、どうしようもないので
部活仲間には休む旨を連絡し、看護師さんの指示で医者の診断結果を待った。
両親が買ってきてくれたギリギリ飲めそうなウイダーのようなものを飲んでいると、
重い雰囲気を湛えた医者が二人病室に入って来てこう告げた。
「落ち着いて聞いてください。白血病です。」
このときまで白血病がどんな病気か知らなかった。
妙に落ち着いていた俺は泣いている母親の横で病気について調べ、
ようやくいろいろ合点がいった。
白血病は、血中の白血球が異常に増殖し、血液が機能しなくなる病気だと知った。
思えば入院前は、二階の自室に行くのに階段を昇るだけでも
5分はゼェゼェハァハァしてた(ヘモグロビン濃度の低下)し、
のどの痛みが全く引かなかった(血小板の減少)。
主治医の先生によると、運ばれたときはもうギリギリで、
あと一日搬送が遅かったらタヒんでいたそうです。こわE
>>1
発病は、いまから何年前の事ですか?
>>29
今から一年前です。2016年の8月ごろだと思います。
幾ばくも余裕がない状況らしく、通常ではあり得ないが、
入院の次の日から無菌室に入れられて抗がん剤治療が始まった。
抗がん剤といえば繰り返し嘔吐し、極限まで追いつめられる
イメージがあったから本当に憂鬱だったけど、始まってみるとそんなことはなく
多少気分悪いな~ぐらいの日が数日続き、
尿と一緒に体から抗がん剤が抜けてしまえば、あとは熱との戦いだった。
ちなみに無菌室は身内以外面会謝絶なんだけど、
先生の計らいで彼女は面会可能にしてくれた。
彼女は「私も出来ることはなんでもするから、一緒に頑張ろう」と言ってくれ、
本当に感謝した。彼女とのやりとりは心の支えになった。
無菌室に入り10日ほどすると、喉の腫れがすっと引き、
会話や飲み食いができるようになった。
好きだったカップ焼きそばは、久々に食べると味覚障害のせいで
味がほとんどせず、半分も食べれなかった。
そしてだんだん味覚も戻りだし、
体調が安定し始めたとき、新たな壁にぶち当たった。
抗がん剤を始めて一か月ぐらいは悪い白血球いい白血球ともにタヒ滅するから、
ほかの感染症を起こしやすくなって熱も出やすいんだ。
で、38度いかないぐらいの熱が続いていたある日、
いきなりものすごい寒気に襲われて全身が恐ろしく震えた。
わけもわからずとりあえずトイレに駆け込み(無菌室は室内にトイレもある)、
3分ぐらい震えていたんだけど、全然治まらなくて看護師さに助けを求めた。
看護師さんに抱えられながらベッドに戻って震えが治まったころに
熱を測ると40度もでていて心底びびった。
たぶん看護師さんもビビってたと思う。
で、とりあえず熱を下げる薬を飲んでその日を終えたのね。
次の日の朝、熱は下がっていたけどシーツは汗でびちょびちょ。
看護師さんに交換してもらって、その日は熱の原因を突き止めるために
CT検査とか、主治医の触診があった。が、その夜また強烈な寒気に襲われて
40度を超える熱が出て、ご飯どころではなく、その日はもう寝る事にした。
次の日もその次の日も
強烈な寒気は6時間に1度ぐらいの間隔で来るようになり、
その都度40度の熱がでては薬で下げる、の繰り返しが1週間ほど続いた。
最初は主治医もいろいろ弊害があるから
ステロイド薬の投与を躊躇ってたんだけど、熱が41度を超えたあたりで
もう使わざるを得なくなった。
使うと熱はすっと引き、元の微熱ぐらいの体温に戻った。
検査をしても悪いところが見つからず、熱の原因がわからなかった
というのが本当に怖かった
要らない文章ばっかり
もっと簡潔に書けるだろ?
コメント
経験してもいないのにすぐ嘘松言うやつアホだよなぁ
自分は抗がん剤やってた時、子供の頃食べてた駄菓子が食べたくてそればっか食べてたけどそれは吐き気は出ても吐かなかった
普通の食事を無理に食べると全部吐いてた
医者に言ったらそう言う時に食べたいと思うものは吐きにくいらしい
極限の時は体が求めるもの食べてたほうが栄養云々より効果的らしいよ
ま、医者によるんだろうけどね
娘の白血病治療の時は見ていて切なかったわ。
3歳だったからまだいいらしいけど、イッチは大学生。大人の方が治療はキツいらしいな。
免疫力が落ちた時に白血病ウイルスによる発症だと、初期に薬で治療出来たのに。