母がタヒんだ。
これでふた親とも居なくなった。
葬儀では兄がお飾りの喪主になった。
葬儀屋にいいように搾取されている兄に助言をしても、
「女が横から口挟むな」
で終了。
相続については全部放棄するからと伝えると、兄は嬉しさを噛みコロしながら、
「いや、そんな訳にもいけん。あのXX(ガラクタ)とか○○(土地。金にならん。税金かかるだけ)とか…」
「兄さんがお母さんを最期まで見たんだし、私は受け取るべきじゃないから」
と固辞したら、
「む、それもそうか」
とご満悦。
兄はなーんもしてないんだから、「見た」だけだけどね。
丸投げされた介護に必要なことはちゃんとしたし、好きな食べ物もなるべく良い物を買ってきてあげた。
本当は旅行とかに連れて行ってあげたかったけれど、兄にめちゃくちゃにされるから断念した。
でも、それなりに使えたから遺された貯金はわずかだけど、知らないんだろうね。
まあ借金はないから、そんなにひどい状況じゃなかったよ。
もう母が長くないことは分かってたから、私はあい間に着々と引っ越し準備。
あとはとりあえず見つけた住み込みの仕事先まで、バッグひとつで逃げるだけ。
ぱっと見は分からないように、色んな物(ノートとか筆記用具とか衣類とか)が残ってるように見えるけど、全部要らない物だよ。
ニートで一度も仕事に就かず、もう40になった兄。
父親と一緒に私の婚約を2度までも壊した兄。
兄を甘やかした父親がタヒんだら畑切り売りして遊んだ兄。
そんな兄を甘やかしはしないまでも止めずに言われるままに土地を売り、お金を渡した母。
私に責める資格なんかないよ。
でも兄と一緒に落ちるつもりもない。
兄は私にこれからも面倒を見てもらえると思ってるけど、父親はともかく母は好きだったからここに居たんだよ。
母が居なくなったら一緒に住むわけない。
安定した仕事を見つけるのは厳しいかも知れないけど、ここで吸われるよりマシだろうし。
捜索されたら困るから、でもすぐにばれるのも困るから、
「ちょっと友人の家に行ってくる。遠いのでもしかしたら泊まるかもしれない」
と言って、ご飯の用意をして、こっそり机の中に
「遠くへ行くのでさがさないで下さい」
と書いた手紙を入れた。
捨てられたらと思い、電話機の下にも同じものを差し込んだ。
実際は父親と兄にいろいろされて、友人らしい友人なんてもういなかったけどね。
アラサーだった私は
「このままひとり頑張って生きよう」
と思っていた。
ところがどういうわけかすぐに出会いがあってその人と一緒に暮らし、子供も出来てしまいついに入籍。
幸せな暮らしに兄のこともすっかり忘れ、1X年がたった。
ごくたまに
「私のことを探して見つけられたらどう対応するかなー」
と思っていたけど、何の音沙汰もなかった。
でもふと母の夢を見て、そこには小さいころの兄(といっても10歳上だったけど)もいたんだ。
それでいろいろと思い出してしまって、ついつい好奇心に負けて実家まで遠出をしてみたら、
そこには新しい家が2件建ってた。
ご近所の人に見つかるのも話しかけるのも嫌だったのでそのまま帰った。
その後やはり好奇心に勝てずご近所の人に電話してみた。
驚くことに兄は母がタヒんだ時点ですでに個人で借金をしており、あっという間に何もかも失ったそうだった。
借金とか知らなかったよ。
さらに残った借金を詰めるために借金取りの社長らと一緒に高級車でどっか連れ去られ、その後は見かけてないと。
ご近所の人(母親と同年輩)は、
「あんたね、本当に良かったんよ逃げて。あの日(連れ去られた日)△君(兄)酷いこと言ってたから…」
そこで言い澱んだご近所の人に、
「何を聞いても驚くようなことはないから」
と先を促すと、
「○ちゃん、あんたのこと言ってたんよ。
『もうすぐ妹が戻ってくるから、トウはたってるがまだ働けるから』
って。
なんかね、その…男の人の相手するようなね」
それを聞いて、夢で見た小さいころの兄は霧散し、
ああ、やっぱり聞いてよかった
と思った。
認めたくなかったけど、夢を見て、ちょっと後悔してたか、償わなきゃって気持ちがあったのかも知れない。
でも、そんな気持ちは消えた。
逃げてよかった。
もちろんもっと早く逃げるべきだったんだろうけど、
少なくともあれは最後のチャンスだったんだって。
「母がタヒんだのも、そういうギリギリのタイミングだったのかも知れないな」
って、持ちだした位牌を眺めながら思った。
兄?
因果応報だザマァ
って思ったよ。
コメント
最近「無責任に逃げていいとか言うな」なんて訳知り顔でほざく奴も居るが
逃げるが勝ち、なんなら逃げなきゃ負けってケースは確かにあるんだよ
というか、むしろこのケースだとデモデモダッテで家に残る方が「逃げ」だな