その後離婚
理由は俺のDⅤと育児不参加
ちなみに家事と育児は半々位の分担はしていたが足りないとの事
嫁は浮気相手のいる西の方へ(新幹線で3時間くらいの距離)
この辺りで浮気の事実に気がつくが時すでに遅し
関係は離婚してから持ったから浮気じゃないってさ
見てる人あんまりいないと思うけど
フラバでちょいと辛いからまた夕方にでも続けます
待ってるけど辛いなら無理すんなよー
見切り品しか買えないんだろ
察しろ
>>14
仰る通り
何にも間違ってない
で、こっちに戻ってきて3ヶ月位かな
ちょこちょこ様子がおかしい事に気づいた、携帯を肌身離さず持ってるとか
やつれた様子があったりとか
この時点で精神科の通院も進めたけど行きたくないとか言っていたが無理繰り連れて行った
最初の医者は統合失調症の可能性ありとの事で定期通院を進められる
しばらく通って育児ノイローゼからのパニック障害、ストレス性難聴も追加で診断が下った
俺自身幼少期にストレス性の病気やってて今も完治してないから、程度の違いはあれど理解しつつ
通院も俺の休みの日に一緒に行くようにした
ちゃんと読んでる
思う存分吐き出してけ
だけど様子がおかしいのは別の意味があった
ある日嫁の突然泣き出す事とかで限界が来て喧嘩になった
俺は出勤して仕事から帰ると嫁の叔母が来ていた
嫁の精神が安定するまで預かると
イライラしていた俺はどうせまた男いるんだろと嫁を罵倒してそのまま連れて行って貰った
まぁ結果から言えば大正解
俺が奨めた某ガンダムゲーで知り合った男(当時4歳年上のフリーター)と浮気していた
後に分かったことだけど以前の間男の他に浮気相手が4人以上いた事も書き添えておく
この時点で俺の精神もボロボロだった
22の時浮気されたショックから吸い始めたタ.バ.コ.の本数も日毎に増え
このままタ.バ.コ.を水で溶かして飲んでタヒのうかとも考えた
この頃母親や唯一の親友に支えられながら何とか生きていたが、揃って「お前変わったな」と言われた
嫁と付き合う前内気で暴/力とも無縁だったのに、粗暴で人相も悪くなったと
で、俺は自分の心をコ.ロ.した
自分で別の人格を作り出し
言葉も京言葉に作り替え
携帯も番号を変え
自分より5歳年上の人間を演じた
ドン引きだろうけどそこまでしても嫁と一緒に居たかった
2ヶ月後苦労の末嫁に会うことが出来た
その間別の大きい病院に掛かったらしく乖離性多重人格障害と診断を受けたそうだ
嫁自身も所々記憶が飛ぶ時期があったりで気がついたら実家にいたと
嫁の実家なんだけど、幼少期舅からバットで尻を叩かれたりとか病気の弟の世話をほぼ任されたり、姑の浮気のせいで家事はほぼ嫁の担当だったりで所謂搾取子の扱い
離れていた期間も精神病も気合いで治ると舅の判断で家事の一切を押し付けられたらしい
家に連れ戻し実家とも半縁切りにさせ、毎週の通院も付き添った
嫁の希望や子供の情操教育の為に猫も飼い始めた
この頃、通院費諸々で生活費が嵩み150万程の借金をしていた
それから約1年くらいで再婚した
この間も特に浮気の様子もなく平和だった
引越しもして、給料が上がるのと近場で何かあってもすぐ帰れるようにと転職もした
通院も症状が落ち着いたのと本人が行くことにストレスを感じている事があったので無理に行かなくてもいいと自主性も持たせた
休みの日や体力に余裕がある時は家事もした
俺は職業柄家事もある程度出来たので苦では無かったし料理も趣味で色々なものを作れたから楽しかった
夏場に鹿児島の出身でもないのに鶏飯を1から作ったりして、普段ご飯なんて1膳しか食べない娘がどんぶり2膳食べるくらい好評だった
思い出したら泣けてきた
転職後半年くらいしてからかな
今度は俺がダメになった
入社した時に転勤無しの約束だったが他事務所の役職さんが産休に入るからと2週間前に突然言われた
渋々了承したが引き継ぎもたった1日、慣れない土地、やった事の無い仕事のせいで数日で辞めてしまった
少しして長男が生まれたが手放しで喜べる状態じゃないのは誰から見ても明らかだった、俺は母親に心配掛けたくないが故に現状も話せず誰にも相談できなかった
恥ずかしながらこの時生活保護を受けていた、就職する迄の間と思っていたのだけど面接も尽く落ち
徐々にやる気が無くなった
結局ほぼ丸1年再就職が決まらなかったが何とか雇ってもらうことが出来た
夜勤ありだったけど、まずまずの給料と良好とは言えないけどまずまずな人間関係で良い職場だった
コメント
メンヘラと付き合うと付き合ってる方もメンヘラになるって事例だな
バカとクズが結婚してダメだったという話
判断が良くない