文才がないので面白くならないと
思いますが昼間から投下。長いです。
私、R。当時23。
彼、T。当時21
彼カノM。当時22
かなりDQNでした。その辺はご容赦下さい。
今の知り合いとかにはホント言いたくありません、
恥部となってます。
当時の私は、一人暮らしを始めたものの、
家財道具は一切なく、手っ取り早く稼げる
と思ってパチ○コ店で働き始めました。
一ヵ月後にそこに就職してきたのがTでした。
Tは地元の人間じゃなく、関西出身でした。
Tが就職してから、2週間後、同僚5人と食欠み、
帰りに彼が送ると言って家に来て、
そのままなし崩しに関イ系を。
彼は1つ上の看護師をしている姉と
暮らしている、と言っていました。
が、それは単に同棲相手でありました。
「今日、ねぇちゃん夜勤でいて
ないから家に泊まりにきーへん?」
彼のうちのほうが職場から近く、
朝楽だったこともあり、頻繁に泊まっていました。
ある朝、いきなりMが私たちの出勤前に帰宅。
姉だと疑っていなかった私は、
少々バツが悪かったもののいい機会だと思い、
「始めまして、Tとお付き合いさせて
いただいてますRと申します」と能天気に挨拶。
M、即ぶちキレ。
「人のウチで人の男と何しとんじゃごらー!」
と掴み掛かってきました。
Mにとって、この手の修羅場は
何度も経験済みであったそうです。
かつては関西で2人で同棲していたのですが、
周りの女と手を切らせるため、
Mの地元のこの土地に連れて戻ってきたそうです。
私はMにTと別れることを約束させられ、
Mは「Tには仕事を辞めさせるから」と
言ってその場はそれで収まりました。
「一応、あんたも被害者やもんなぁ」と
最後は同情的になっていたせいも
あるかと思われます。
改行注意します(‘A`) 読み辛いですね…。
職場では、職務上の必要最低限のことしかTとは話しをせず、
やり過ごして1週間ほどたったころ、Tから電話があり、
「どうしても話をしたい」と言われました。
正直、まだTに未練があった私は、彼の提案を受け入れ、
仕事が終わった後、23時過ぎ、職場近くの公園で待ち合わせしました。
2人でゆっくり話しをしたいからと、彼はラ○ホ街へ。
ゆっくり話しなだけなわけないのに私も相当DQNですorz
彼はそこで、関西からこちらに来る前に彼女とは冷め切っていた、
彼女にイ昔金がありどうしても断れなかった、
本当に好きなのはRだけ、こんな田舎町に連れてこられて
腐っていたけど、Rに出会えただけで幸福だった、と。
おばかが逆上せ上がる臭い台詞を立て続けに捲くし立ててくれ、
Mとは必ず終わりにするから別れないでくれ、と泣きながら
言われました。そして、こっそり復縁。
TはMに「Rは職場でも口も聞いてくれないほど険悪」と
説明していたそうです。
そんな関イ系を続けているとTが子供を作ろう、と言い出し
ました。さすがのMも子供が出来れば別れてくれるに違いない、と。
私も彼を繋ぎ止めるために充分な理由だと納得し、程なく妊娠。
DQNほど妊娠しやすいとはよく言ったものです。
妊娠を機に彼はMの元に戻らなくなり、私の家で同棲状態に。
そうして再度、Mの家で話し合い、修羅場に。
続きます。
Mは開口一番、私に手術しろと言いました。
理由は、私とTとのことが発覚したとき、
Mも妊娠していたのですが、こんな状況で
妊娠なんか告げてもTはウザがって
離れていくだろうと判断し、
手術したからというものでした。
そんなMにTはいきなりのなぐるける。
Mは、なぐられながらも携帯で誰かに電話。
(日常的にあったような口ぶりだった)
私は必タヒでTを止めました。
K察呼ばれていると思っていましたが、
Mが電話したのは身内のようでした。
Mは台所から、包丁を持ってきて、
刃先をこちらに向けていましたが、
いきなり自分自身に振りかざしました
切れ味も悪い包丁だったようで
血が出ていましたが命に
別状があるようには見えませんでした。
わなわな震えてはいましたが…。
すぐに、Mの母親と母親の彼氏
(?テンピラみたいな人だった)が駆けつけ、
母彼はTをポコポコ。
M母はすぐに電話で救急車を呼びました。
そして、M母がMはその手術で
もう子供の産めない身体になっており、
Tにはその責任を取ってもらわなきゃ
いけないからと言い出しました。
そして私にこのままでは済ませないと
凄むとMを連れて外で救急車を待っていたようです。
Tは呆然としていました。私はその日夕方のシフトで、
そのまま仕事にいくと告げ、Mの家を出ました。
仕事に入って3時間くらいして、刑事が2人職場に。
Mさんの件で事情を聞かせて欲しいと言われ、
K察に連れて行かれました。
刑事「なんでMさんのこと、膀胱したの?」
私 「はぁ~~~~~?!」
続きます
初紫○
なんとMは私にやられたと証言したらしいのです。
何時間か否定し、傷の方向やら角度など
でどうやら容疑が晴れ、9時間後に解放。
Tも拘束されていたようで
(こっちは本当に○る蹴るを
行ったので当然と言えば当然)
2人で帰りなさい、と送り出されました。
私とTは帰宅。
もう2人で話し合う気力も無くなっていました。
ただ、朝日が眩しかったです。
その騒ぎで職場は当然2人ともクビになりました。
心身ともに疲れ果てた私は手術を決意し、
知人Aからお金を借り、病院に行こうとしていました。
手術同意書もAに書いてもらっていましたが、
彼が、母子手帳の間に挟んであったそれを発見。
Tは号泣して、不甲斐ない自分が悪いのだが、
手術はしないで欲しい、 必ず、Rが安心して
子供を産める環境を作ってみせるから、
早まらないで欲しいと。
そのときまだ信じる気持ちがあったのですね。
Tは私の身体が心配だから、
とMのところに自分1人で話し合いに。
平行線で終わりということを
繰り返していると言っていました。
が、それはすべて嘘でした。
続きます。
TはMとよりを戻していたそうです。
MにはRが無事、手術に同意するまで
接触しないで欲しい、と頼み込んでいたようです。
話し合いに行くから、とMの家に行き、
そこでMと普通に生活していたらしいのです。
そしてMには、Rを説得しなきゃいけないから
と私の家に来、家では普通に生活。
そんなことが長く続くわけはありません。
嘘と行き来に疲れたらしいTは私に、
「やっぱり結婚は無理。子供も手術してくれ」
と言ってきました。
一緒にいたMは勝ち誇ったような笑顔でした。
そのときにはすでに妊娠7ヶ月目に入っており、
法的に手術出来る期間ではなくなっていました。
無理だというと、Mが
「私は看護師だから闇で手術してくれる
医者にツテがある」などと言い出しました。
それでなくても、階段から落ちるとか
車に撥ねられるとか色々あるんじゃない?
などと言い出し、 いつかのMに対して
のディー・ヴイがフラッシュバック。
私自身はなぐられたことはなかったのですが、
確実に自分の番じゃないかと脅えました。
おそらく軽いノイローゼになっていたとも思います。
いつの間にか、芽生えた母○のようなものと一緒に、
私は前述のお金を借りた知人Aに連絡。
彼女の家に一時避難し、
県の相談所に駆け込みました。
その後、TにもMにも会うことなく、
そういう行き場を無くした女○を
集めた施設に入所、無事出産しました。
もう、Tには会いたくなかったですし、
あんな男の子供でも、子供は愛おしい存在になりました。
続きます。
私は、その施設で10ヶ月ほどお世話になり、
子供が1歳になる少し前にアパートを
借りそこを後にしました。 あまりにもDQNなことをし、
自分の親にも連絡できなかったのですが、
出産を機になんとか連絡し、両親もなんとか許してくれ、
子供を保育所に預け、自分は事務員の仕事を始め、
時々両親のいる田舎に帰り、
という普通の生活をしていました。
友人の紹介で男○C男とお付き合いを始め、
お互い将来の話をし、結婚を
意識しはじめたころTが私の前に現れたのです…。
子供と一緒にアパートに帰り
晩御飯の支度をしていると、
チャイムの音がしました。
私「T!!なんで!!」
T 「頼むから話を聞いて欲しい!!
R、お前には本当に酷いことをした!!
許してくれ!!」絶叫。
近所の目もあり、平穏に暮らしたかった
自分は、やむなくTを自室に招き入れる事に。
子供はテレビをみながら部屋で
ゴロゴロとしていました。
1歳を少し過ぎたばかり。父親の概念もない
子供はキョトンとしていました。
T 「この子、俺の子やろ?」
私「…。もう関イ系ない。」
T 「聞いてくれ、お前がいなくなったあの後!!」
なんと彼から驚くべき事を知らされました。
続きます。
Mの母彼のたくらみで、ボコボコにされ
意識を無くしたあと遠洋漁業の船に
強制的に積み込まれており、
女又隷のように働かされ、
その給料はすべてMたちのものにされたと。
船を降りてからはタコ部屋のような
ところに連れて行かれ、そこで4ヶ月労働。
タコ部屋を出されてまた、3月から遠洋漁業の船。
11月にこちらに帰ってきた船から逃げ出して、
警備会社で働いていると。
昭和初期のヤ○ザ映画ですか?
それ?な話のオンパレードでした。
もう笑うしかない話に心底疲れました。
私「Tにはもう懲り懲りだし、
謝って貰っても嬉しくもなんともない。
今は幸せにやってるので
2度と目の前に現れないで欲しい」
T 「でも、その子、俺の子やんか!
俺は父親になる権利があるはずや!」
私「認知もしてもらってないのに、何が権利なの?
帰って貰えないんだったら
今すぐK察に電話する。すぐ出てって!!」
子供が私の叫び声で火がついたように
泣き出し、彼は家から出て行きました。
次の日、長い手紙がドアの
郵便受けに入っていました。
出来れば一緒に子供を育てたい、
Rのことを忘れたことは1日もなかった。
船の上ではRともう一度会うまでは
絶対シなないと自分を励まして生きてきた、
自分を受け入れて欲しい、
と勝手極まりない内容が書かれていました。
私は、たった2日で子供を連れて
C男の家に引っ越しました。
続きます
支援
あれから7年、私はC男と結婚し、
彼との間に子供が一人出来ました。
人づてに聞いたところによると
TとMは結婚したようでした。
子供も3人いるそうです。
2度と妊娠できないんじゃなかったのかよ、
と突っ込みたくなりましたが…w
が、TとMの子供の1人は
重い障害(ダウン症?)で、
もう1人は白血病を発症したそうで、
うちの上の子に骨髄検査を受けて
欲しいと連絡がありました(‘A`)
C男が窓口となってくれ、断ったようですが、
ほんの少しそれが後味悪いですかね…。
長くなりました、申し訳ございません。
終わり
56さん、最初の子は自分の
お父さんはC男だと思っているのかな?
だったら、後味悪いですが、仕方がないかも……
もう中学生以上とかだったら、
まだ考えられるかもしれないけど…
TとMも勝手ですね!
>>67
子供はC男を父親だと疑ってません…。
いつか本当のことを言うときがくるのでしょうが、
今は本当の言えない、と断ったそうです。
>>65
乙ー。
…そこまで嘘続きだったらダウン症も
白血病もあわよくば金♪の嘘だったんではないかと
>>69
何かのきっかけで
知ってしまうという事もありえるし
それよりはある程度の年齢になってから
両親から打ち明けた方がまだショックは少なくて
済むかもしれないね
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