母が、自分が離婚するかどうかを当時4歳だった私の言葉で決めたと知った時、そんな事まで私のせいにするかと衝撃的だった。
幼い頃、私は母より父が好きだった。それは、母はあらゆる出来事を私のせいにしたから。
例えば、雨が降って洗濯物が濡れたら、母は私と共に家にいたのに、私が雨が降るのを察知して
事前に取り込むべきだったのに「お前(私)がさぼったから洗濯物が濡れた」と言ったり、柱時計をかけていた釘が緩んで抜けて時計が落ちたら、「お前がドスドス歩くから、釘が緩んだ。
お前のせいだ」とか、言いがかりのようにすべての責任を私のせいにしていた。
対して父は私を叱ることは一切なかったので、父のクズさを知るまでは私は父が好きだった。
実際の父は浮気を繰り返すクズ男で、母は離婚しようと思っていたが、母曰く「お前の意見を
聞こうと思った」そうで、当時4歳だった私に「お父さんと一緒に暮らしたいか」と聞いたらしい。
私にはその記憶はなかったが、私が「うん」と答えたらしく、「だから離婚しなかった」と聞かされた。
当時4歳だった私が父の行状を知っているわけもなく、いきなり「お父さんと一緒に暮らしたいか」
と聞かれてら「うん」と答えるしかなかったと思う。また、自分の返答がどういう影響があるか分かる
はずもなく、離婚すべきかどうかなんてを判断できるわけがない。
中学生の頃、父の事を理解した私が「なぜあんなお父さんと離婚しなかったの?」と聞いた時、母に離婚しなかった理由を聞き、そんな事まで私のせいにするのかともの凄く衝撃的だった。
それ以降、母には「私(母)は離婚したかったのにお前のせいで離婚できなかった」、「私の人生は
お前の為に犠牲になった」、「私はお前の為に生きてきた」と事あるごとに言われ続けた。
ずっと私は親に言い返すことができなかったが、結婚して子供を産んでから、母に対して疑問を持つようになった。
ある日、母が件の話を始めた時、私の中で怒りが爆発した。
「4歳の子供に自分の離婚を判断させるのは卑怯だし、いい大人が責任を押し付けるのは、ものすごく恥ずかしい
事で、とても私にはできない」と母に言い返した。
以降、母は「離婚できなかったのはお前のせいだ」とは言わなくなったが、「私が離婚して母子家庭になったら
お前は就職や結婚できなっただろうから、お前の就職・結婚は私の犠牲の上にある」と言うようになった。
どこまでもどこまでも私に罪悪感を持たせようとする母の姿も衝撃的だった。
コメント