既男だが、ガキから独身時代までを書いても良いかな。
このスレは今、平穏でネタ少なそうだから、少しずつ投下していくが、
色々ありすぎた人生で、長文になるかも。
現在は40代後半、既婚小梨だ。
俺は子供時代、母親に虐.待.やネグレクトされていた。
母親は、言う事を聞かないと暴.力はもちろん、
子供の大切な物を目の前で破壊し、その恐怖を子供の心に植え付けて、
精神を支配するクズだった。
おかげで、子供時代の玩具はもちろん、子供の頃の思い出の品物は一切無い。
書籍も含めて、全部壊されて捨てられている。
退職した先生からもらったシャーペンを目の前で壊された時は、
心の方が壊れるかと思ったくらい。
ノートや教科書もビリビリに破かれた事もある。
自分が小学5年の秋になると、父が夜勤の夜に母親が出かける事が多くなり、
夕食を作ってくれなくなった。
「自分でご飯を炊け。500円札を置いておくから、とんかつでも買って食え」
という事が多くなった。
逆らえず、渋々従っていたが、いつしか朝食も作ってくれなくなった。
夜遊びのシ酉が残って、朝、なかなか起きてくれない。
精神的に支配されていた自分は、母親の了解無しに勝手に朝ご飯を食べると、
母親から制裁されると思っているから、どうにか母親に起きて貰おうと頑張ったが、
「うるさい!」と言って大型の目覚ましでナグられた。
目から火花が出た。
だらーって額から血が流れてきて、ショックで泣きながら学校へ登校した。
母から目覚ましでナグられた日、学校から帰宅したら、また500円札が置いてあった。
500円札を持って外に出ると、俺は無意識に、ふらふらと夕暮れの中を徘徊した。
とんかつを売ってる肉屋の前を通り過ぎ、ふと気づくと、H君の家の塀の前にいた。
H君は1~4年生まで同じクラスの仲良かった子で、
H君のお母さんは凄く家庭的で優しい人だった。
お勝手から美味しそうな匂いがする。
じっと見てたら「俺君?」と呼びかけられた。
目の前にH君のお母さんがいた。
「どうしたの?」
と心配そうに尋ねてくれる。
何も言えず黙っていると、
「ご飯食べていく?」と聞いてくれた。
その言葉を聞いてたまらなくなって、
涙がぽろぽろと出てきて、そのまま家に逃げ帰った。
その夜、夕食は食べず、布団の中で泣きはらした。
ご飯を作ってくれず、言う事聞かないと宝物を壊して笑うヤツ。
自分の本当の母親は、あんなヤツじゃない、他にいるんだ、そう思うようにした。
そうすると、少し気持ちが楽になった。
ある朝、母親が居なくなった。
時々、父の夜勤の時に家に上がり込んでいたKという男と母親の現場を、
早上がりで帰ってきた父に見つかったようだった。
父に追い出され、Kの元で母親は暮らすようになった。
母親が家を出て数週間後、父の夜勤の日に母親が家に居た。
家の鍵は変えてなかったから、父の居ぬ間の帰宅だったはず。
しかし、父は何故か家に居て、昼間からシ酉を飲んでいた。
何故、父が居て母が居たのかは当時判らなかったが、
子供ごころに、両親が揃っているのが嬉しかった。
だが、母親はすぐに帰った。
その数週後、6年生に進級して間もなくだったが、学校から帰ると
また母親が居て、家の中を家捜ししていた。父は日勤で居なかった。
母親は、俺に見つかるとさっさと家を出て行った。
それから数日後、父が顔色を変えていた。
我が家が不動産屋に売りに出されていたらしい。
母親に権利書を持ち出されたが、実印は父が親戚に預けていて、寸前で防いだらしい。
俺が生まれた頃、父は人一倍働いて家を建てた。
その家をKと母親が勝手に売ろうとしていた。
続きは後日書きます。
あと何個か書いて、続きは明日にします。
書けば書くほど長くなりそうだが、ウザかったら言ってください。
父はKや母親に対し、何らかの法的手段を執ったはずだった。
土曜日の午後、自分は学校から帰ってきて家に居た。
父は夜勤明けで寝ていた。
Kが、柄の悪い男達数人を連れて家に来た。
寝ていた父を起こすと、父が応対した。
父は、俺を家の奥の部屋に居るように命じた。
ドナり声と「ぼくっ」という音が居間から繰り返し聞こえた。
Kが「人間のクズ」と父を罵っていたのが聞こえた。
そのうち静かになったと思うと、父の嗚咽が聞こえた。
自分は心配して居間の父の元に行った。
父はシ酉を一人で飲んでいた。顔は数カ所腫れていた。
あんな父の泣き声を聞いたのは、初めてだった。
男としての、悔し泣きだったはずだ。
事情は良く教えてくれなかったが、家を売らせないようにするために、
やはり父は何らかの法的手段を執り、それに腹を立てたKが
父に制裁しにやってきた様子だった。
小学6年の俺でも、Kの方が人間のクズなのは判っていた。
父に取っては、あの日が人生最大の屈辱と修羅場だったに違いない。
コメント
お父様は脇が甘くて間抜けな方だわ