つ④
しばらく経って、嫁から連絡が来た。
母と俺さんのところに行く約束があったのに、結局母が行けなくなってしまった。
約束だし、せめて私だけでもと。
もちろん快諾して会うことになった。
待ち合わせ場所に着くと、
嫁は今日は奢らせてくださいと言って寿司屋に連れていってくれた。
いい店で美味しかったし、
親方とカウンター越しの寿司屋では自然と明るい話になり楽しい時間だった。
話しながら俺は、なんて素敵な女性なんだと改めて思い直していた。
その後店を変えて飲み直し、たくさん話をした。今までのこと。これからのこと。
嫁「俺さん、改めて本当にありがとうございました。
私は俺さんのおかげで前に進めました。
俺さんのおかげで今日はとても楽しい時間を過ごせました。」
俺「良かった。俺も楽しかったよ。」
嫁「はい」
俺「嫁さん、あなたは幸せにならないとダメだ。
俺は嫁さん程素晴らしい女性を見たことがない。人として尊敬できる。
でも俺は悲しんでる嫁さんをもう見たくない。俺に嫁さんを幸せにさせてもらえないか」
(あ、つい言ってもうた)
嫁「えっ、それって……」
俺「愛してる。結婚を前提に付き合って欲しい」(ええい勢いだ)
嫁「えっ、そんな……」←嫁は覚えてないと言うが本当にこう言った
俺(そんなってどういう意味だ)
嫁「ちょっと考えさせてもらえますか?」
俺「わかった」(これアカンやつや……\(^o^)/オワタ)
そのまま嫁を滞在しているホテルに送り届けてお別れ。
自宅に帰って風呂から出るとメールが入っていた。明日また会ってもらえますか?
すぐに了承して翌日も会うことになった。
翌日会うと嫁は海の近くにある大きい公園に俺を連れていった。
ふたりで散歩しながら他愛のない話をして、海が見えるベンチに座った。
嫁「わたしは幸せになっていいんでしょうか」
俺「何を言ってるんだ。もちろんだよ。」
嫁「たぶん、私は子供が作れません。前の夫もそれで私を……。
俺さんだってきっと辛い思いをします」
俺「俺は構わない。全く不妊というわけでもだいんだろう?
治療しながらゆっくりでもいいと思うんだ。
それでも嫁は辛いかもしれないが、俺は大丈夫。
子供がいなくてもいいし、欲しければ養子を取ったっていい。
ただ、嫁は必ず俺が幸せにするよ。約束する。」
嫁「俺さん、ありがとう。よろしくお願いします。」
嫁は涙目になりながら答えていた。
その日は俺の部屋に泊まり、嫁が帰ると遠距離恋愛が始まった。
週末になると俺は嫁実家に行き、嫁実家を引き払うための準備を手伝った。
それが終わると俺は嫁と住むための部屋に引っ越し同棲を始めた。
今考えると結構大変な日々だったはずなのに、
あっという間の楽しい記憶しかない充実した日々だった。
ところで気になる人もいると思うので説明しておくと、
元旦那は離婚後引っ越していて近くには住んでいないらしい。
まぁばったり会うなんてことはなく、今後もないだろう。
同棲して半年ちょっと。
お義母さんの一周忌で嫁の地元に帰り、そのときプロポーズした。
そのまま集まった少ない親族に結婚する旨を伝えた。
結婚式も披露宴もしなかったけど、
会社の人たちはレストランを貸し切って祝ってくれたし、
なによりも嫁の笑顔が見れる日々はとても幸せだった。
やっぱり子供は出来にくいみたいで、子供は出来なかったけど、
俺の両親もそれ程うるさくない人で衝突もなく、俺は幸せで満足だった。
ここで、これを読んでくれている人たちに残念がお知らせをしなくてはならない。
結局、俺は嫁を幸せには出来なかった。
ある日残業を終えて家に帰るとエプロン姿のまま倒れている嫁がいた。
駆け寄って声を掛けたが意識がない。頭の中を嫌な予感が駆け巡った。
お義母さんのタヒ因はクモ膜下出血だったから。
すぐに救急車を呼んで嫁は搬送された。
医者の話ではやはりクモ膜下出血。
ようは脳のクモ膜の血管の弱いところが破裂するわけだけど、
この血管の弱さというのは遺伝するものらしい。
発見が遅かったのでこのまま意識が戻らない可能性も高く、
意識が戻っても重い後遺症は覚悟しなくてはならないと言われた。
もしあの日、俺が残業せずに帰っていれば……。
あるいは遺伝の可能性に気づいて前もって検査しておけば……。
悔やんでも悔やみきれなかった。
今、それから1ヶ月が経ったが嫁の意識は戻らないままだ。
どうにも辛くて、昔を思い出してこれを書いてる。
感情が溢れてしまって、かなり端折ってしまったけども。
今は嫁が回復するのを祈るばかり。
こんな終わりで申し訳ない。ちょっとつらくて誰かに話したくて。
俺の④返せ…嫁の意識が戻って、
後遺症がごく軽微で済む呪いをかけてやる…。
コメント
病気ネタの創作とか不謹慎やぞクソボケ