「さすがに早すぎる!」と思いましたが、ここで自分の疑念を信じ切れなかったのが
私の人生最大の過ちだったと、文字通りタヒぬほど後悔しています。
「そういうことは結婚してからでは?」とビクつきながら逃れようとしましたが
「誰だって結婚前からやっていることだよ」「『好きだったら』したいと思うことだよ?」という言葉に、
拒絶したら嫌われてしまう…という不安感に負け、私は許してしまいました。
性/的なことに対しては、最初にも述べたとおり異常な潔癖性があり
私の合意があったとはいえ、世間に顔向けできないことをしてしまった、という罪悪感に陥り
それから暫くノイローゼ気味になりました。
親に顔向けできない、でも、この人に嫌われれば誰にも必要とされなくなってしまう、
人を見る目がない私は、情けないことにA男に心底依存していました。
それからも度々体を要求されるようになりましたが、あーだこーだと理由をつけては
出来る限り避けようとしていました。
行為が嫌だということもありますが、一般常識に外れたことも要求されるからです。
A男の会社の業務が終わって人気がないときに連れ込まれ、ここでヤりたいだとか、
カメラを持ち出し卑.ワ.イ.な格好を写真に収めたいだとか。
ここでもし撮影を承諾していたら、私はもう生きていられなくなっていたかもしれません。
そして「避○具をつけるのが嫌だから、病院行ってピ.ル.貰ってきて呑んで。費用は出すから」とまで言われ
相変わらず断れない私は未成年なのに産婦人科に赴くことに。
台の上でカーテン越しに下半身に何やら色々と器具を突っ込まれた痛みはまだ忘れられません。
それから律儀にピ.ル.を服用するようになり、A男も喜んで生でするようになった、ようです。
避○の重要性なども殆ど理解がなかった私はどんなに愚かだったかと。
そんなこんな状態がまた数日続き、体調が優れなくなった私は実家に数日帰りましたが
その時に産婦人科の薬の袋を母に発見され、何かと問い詰められ白状してしまうと、
母が声を○して泣いていました、本当に愚かとしかいえない娘です。
罪悪感がありながらも、ここで自分が間違っていたと思ってしまえば
そのときの私の理念上、生きていられないと思うほどの絶望感に陥っていたでしょう。
私はA男を好きでいようと思いました、もはや純粋な好意などは全くなく
抱いた疑念を、過ちを認めてしまえば狂ってしまいそうだと、おかしくなりかけていました。
体の要求は、承諾半分拒否半分で何とか耐えていました。
B子やC子という歳の近い相談相手が居てくれたから、頑張ることができていました。
二人とも私に前向きにとらえるようなアドバイスはしてくれていました。
遊ぶ約束をしていたB子が突然「今日用事が入っちゃって無理になりました;」とか
ドタキャンするようになってくるようになるまでは、頑張れていました。
そして学校が夏休みに入って暫く経った頃、夜中にA男からメールが来ました。
「言わなきゃいけないことがあるんだけどー」
直感的に嫌な予感がしました、でも目の前に突きつけられすぎていて避けられません。
「何?」と送り返すと、すかさず返信がありました。
「B子ちゃんと行為したの~」(原文ママ)
浮気だの二股だの、そういう概念よりも、私は貞操観念の崩壊で一気に半狂乱になり
すかさず電話をかけ、自分以外の寮生は里帰りで静まり返った寮で夜中に泣き叫びながら
ドナり散らしました。気持ちは覚えていますが何と言ったのかは殆ど思い出せません。
気づけば私は定期券だけ持ち、寮の窓からネ果足で飛び出し(玄関は施錠されているので)
A男を深夜の街中に呼び出して、どこかの草むらで朝まで罵倒していました。
多分、3時間くらい?泣いて、喚いて、初めて人に平手打ちを食らわした気もします。
A男は「ごめん…」と言うばかりでそれ以外に何の弁明もしてきません。
「今日も仕事があるから」なんていう理由にも、私は馬鹿みたいに
仕事に差支えが出れば他の人に迷惑がかかる…なんて考えて、A男の帰宅を許可、
朝5時くらいだったでしょうか、朝7時くらいまでネ果足で、生まれて初めて深夜の都会を歩き回りました。
締め切られたデパートの入り口で座り込んだり、端から見たら危ない人だったことでしょう。
それから三日三晩ほど一睡もできず、朝も夜も分からない日が続き、
十日ほど前に終わったはずの整理がまた始まりました。
いえ、整理というよりショックからきた不正出血だったのかもしれません、
異様なほど真っ赤で鮮やかな血だったのを今でも記憶しています。
今まで他の人が書かれていた体験談でもあったように、追い詰められると
逆に冷静になれたりする瞬間もあるようです。
そのとき本当に信用していられていたC子にメールで泣きつき、
いつものゲーセンに行って、ずっと裏口で泣いて慰めてもらっていました。
それから数日、楽しかった思い出を渡り歩くように行きつけのゲーセンやお店に
何をするわけでもないのに出入りを繰り返しました。
(お店の人には本当に迷惑をかけてしまったと思います)
それまでは「思い切ったこと」なんてできなかったのに、私は、
その数日後、友達がいない間に、私はゲーセンで手首を切ってしまいました。
ゲーセンの店員さんが、犯罪者を見たみたいに慌てふためいてK察を呼び
私は二十歳の誕生日の数日前に、K察署に連れて行かれました。
話を聞きつけたC子が飛んできてくれました。
C子は「あんたのせいでこんなことになってるんだぞ!」とA男を呼びつけてくれたようですが、
A男はK察署に一瞬姿を現したもののすぐ「仕事があるから」と言い帰りました。
それから、K察に母が呼び出されました。
母も私と同じく全然都会慣れしていない人だったので、伯父と伯母に連れられて、
もう立っているのがやっとなくらいボロボロに泣き崩れていていました。
事務的な手続きなどがあったかどうかはわかりません、が
きっとドラマや漫画でよくあるように書類にサインとか、あったのでしょう。
伯父と伯母に連れられて、母と私は泣き続けて、自宅に強制送還。
素敵な文章を書く方ですね。
幸せになっていてほしい
コメント