アメリカ人の父は俺の母と浮気をして、俺を孕(ハラ)ませた。同時期に父の本当の妻にも孕ませた。
父は妻も愛/人(母)もすてられず、俺や異母兄が産まれてもしばらく二又を続けていたが、母が事故でタヒんでから父は俺を引き取り、父・義母・異母兄・俺の四人で暮らすことに。
俺は何かと罵(ノノシ)られまくった。
義母は優しかったが、異母兄はとにかく意地悪で、叩かれたり蹴られたりするのは日常的。
父も義母も異母兄を叱らない。
俺が怪我しようがなんだろうが、男の子同士のじゃれあいだと思っていた。怪我だって男の子ならこれくらい普通だと思っていた。
何よりも堪(コタ)えたのが、異母兄の「糞日本人を母にもつ卑しい人間」と言われた事だった。
父の愛/人、つまり俺の母は日本人で、俺はアメリカ人の血が半分しか流れていない。
その事で随分といじめられてきた。
何故か異母兄は、自分が生粋のアメリカ人である事は名誉であり素晴らしい事だと思っている節がある。
アジア人はアメリカ人に劣り、下等な種族なんだと何度も聞かされた。
父も義母も異母兄にはそんな教えを説いていない。義母なんて愛/人の子である俺を差別せずに育ててくれた聖母のような人。
父だって、浮気したクズではあるが、浮気相手に日本人を選ぶくらい日本が好き。
異母兄がどのような理由で日本人を蔑(サゲス)むかは現在でもわからない。
俺はだんだん「アメリカ人でも日本人でも無い中途半端な存在」「何をしてもアメリカ人には及ばない半人前」と常に下を向き、意欲の無い子になっていった。
15の時に父がタヒに、いよいよ家族の中に血の繋がる人間がいなくなった。
異母兄からは「お前の居場所は無い」と笑われた。異母兄とは同い年だが体格差が明確になり、喧嘩に勝てず、泣き寝入り。
義母は異母兄を叱るが、異母兄は全く言う事を聞かない身勝手なDQNに成長した。
俺はこの頃から日本語の勉強を始めた。ずっと母の故郷に行ってみたかった。きっと祖父母もいるだろうから会ってみたかった。
20歳の頃には義務教育で習う漢字すら全ては覚えきれなかったが、会話は問題なかったので、アメリカを離れ日本で暮らす事に。
アメリカを離れるとき、義母は最後まで泣いていた。
本当は俺の母が憎くて仕方がなかった、俺を引き取る事になったとき発強しそうになったと言っていた。
でも当時幼かった俺には罪は無い。義母に向けた笑顔にほだされ引き取る事を決意したらしい。
俺は日本で稼いで成功させて義母に恩返しをしようと決めていた。何年かかるかわからないけど待っていて欲しいと伝えて日本に旅たった。
俺は今年で45になる。
日本で嫁をもらい、子を2人もうけた。結婚式には義母を呼んだ。異母兄も招待したが、出席しなかった。
俺は義母に恩返しとして新築をプレゼントした。
異母兄は俺が建てた家には住みたくないと、フランス人の嫁をもらってフランスに行ってしまった。
結局日本の祖父母は会ってくれなかった。
俺は憎き男の子供だから孫とは認めないらしい。
今は嫁や子供にも囲まれ、幸せに暮らしている。もうあの頃みたいに「自分は半人前」と卑屈になったりはしていない。
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