今夜旧友と飲む約束をしていて
思い出したので仕返しした昔話を
小学生のころ私は苛められていました
理由は気が弱く、当時の年齢としては大きな体格
太っていて足が遅い、それらが理由だと思います
当時私のいる小学校では足が速く明るいのが
ヒーローの条件でしたから
苛めの内容として、小突かれのろまと罵られたり
靴や物を隠されたりお約束通りのものでした
当時はまだイジメや体罰がさほど問題視されておらず
それを親に相談したら、気の強いおっかさん風味の母、
無学で熱い職人の父は揃って
苛められるお前が悪い!と言い
私を街の空手と柔道の道場に通わせました
幸いに、当時体格の良かった私は
試合などでもそれなりの結果を出し始め
格闘技が楽しく、好きになっていきました
イジメられることはもうどうでも良くなり
師範方も、決して私闘に臨んではいけないよ
君たちは格闘技者なのだから押して忍ぶように
と堅く戒められ、私もその戒めの意味はわからないながらに
それをかっこいいものだと思い守っておりました
中学に上がり学区は隣の小学校が加わる形になり
元々のイジメっ子に加え隣の小学校の者たちも加わり
私に嫌がらせする人数は増えていきました
あいつは何をやっても怒らない
と、当時彼らには仏像と呼ばれていましたねw
もうそのころはそういった雑事は気になりませんでしたし
友達も出来、勉強も面白いのでどうでもいいと
表面上は思っていました
さて、時は平成に入り、世間はとあるプロレスを越えようとした
プロレス団体の出現に世は格闘技ブームになり
私はもっと強くなりたいと欲し親を説き伏せ
当時最新鋭だった小さい空手団体に加入しました
俗に言う寝技関節技もアリのフルコンタクト
まだアンダーグラウンドな怪しい道場でしたw
そこに入るには生命の保証はない云々の誓約書に
時代錯誤な血判を押すというところであり
道場生は兄弟、親子であるという信念がありました
当時正に中2だった私は文字通り中2病全開でそこに傾倒していきました
受験が迫るプレッシャーでしょうか?
イジメは苛烈になっていきました
そして折しも格闘技ブームの中、イジメっ子たちも毒されたのでしょう
どこで噂を聞きつけたのかその道場に入って来たのです
驚きました、そして私は師範に相談しました
彼らは私を苛めている人達です、と
すると師範は笑って
そんなのは道場の外の話だ
ここではお前が彼らの兄貴分、可愛がってやれ、と
道場で言う可愛がれの意味はと言えば…そういうことですw
翌日彼らは学校で有頂天に吹聴していました
俺達はあの最強の道場に入ったと
そして彼らの1人がやってきて私に
お前もあそこにいたよな?苛めてやっからよ、と笑いました
その時何故か私は初めて彼らを憎んだかも知れません
私の愛する場所を土足で踏みにじる卑劣漢め!
と不当な思いだったのだと思います
彼らとはしばらく道場内での接触はほとんどありませんでした
彼らは不真面目でしたからね
苛めていた私がいるような所ですから
大したことないと思ったのでしょう
師範に私は思うところを訴えたのですが
師範は笑ってほっておけ、奴らももう兄弟なんだからと言うだけです
私にはその時はまだわかりませんでした
そしてある日、彼らと私が道場で揃った時です、師範が言いました
おい、お前らそろそろ実践稽古するか?と
喜ぶイジメっ子たち
そして師範が言います
よしお前(私のことです)兄弟子としてムネを貸してやれ
お前ならそんなヒヨッコまとめても余裕だろ、と煽るように
ヒートアップするイジメっ子たち
そして組み手が始まりました
コメント
ふぅー、つまらん